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【ブンゴウメール】夢十夜 (7/29)

(697字。目安の読了時間:2分)


と云って無はちっとも現前しない。
ただ好加減に坐っていたようである。
ところへ忽然隣座敷の時計がチーンと鳴り始めた。


 はっと思った。
右の手をすぐ短刀にかけた。
時計が二つ目をチーンと打った。

 

第三夜


 こんな夢を見た。


 六つになる子供を負ってる。
たしかに自分の子である。
ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰れて、青坊主になっている 。
自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答え た。
声は子供の声に相違ないが、言葉つきはまるで大人である。
しかも対等だ。


 左右は青田である。
路は細い。
鷺の影が時々闇に差す。


「田圃へかかったね」と背中で云った。


「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、

「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。


 すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。


 自分は我子ながら少し怖くなった。
こんなものを背負っていては、この先どうなるか分らない。
どこか打遣ゃる所はなかろうかと向うを見ると闇の中に大きな森が 見えた。
あすこならばと考え出す途端に、背中で、

「ふふん」と云う声がした。


「何を笑うんだ」

 子供は返事をしなかった。
ただ

「御父さん、重いかい」と聞いた。

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【ブンゴウメール】夢十夜 (6/29)

(754字。目安の読了時間:2分)


こめかみが釣って痛い。
眼は普通の倍も大きく開けてやった。


 懸物が見える。
行灯が見える。
畳が見える。
和尚の薬缶頭がありありと見える。
鰐口を開いて嘲笑った声まで聞える。
怪しからん坊主だ。
どうしてもあの薬缶を首にしなくてはならん。
悟ってやる。
無だ、無だと舌の根で念じた。
無だと云うのにやっぱり線香の香がした。
何だ線香のくせに。


 自分はいきなり拳骨を固めて自分の頭をいやと云うほど擲った。
そうして奥歯をぎりぎりと噛んだ。
両腋から汗が出る。
背中が棒のようになった。
膝の接目が急に痛くなった。
膝が折れたってどうあるものかと思った。
けれども痛い。
苦しい。
無はなかなか出て来ない。
出て来ると思うとすぐ痛くなる。
腹が立つ。
無念になる。
非常に口惜しくなる。
涙がほろほろ出る。
ひと思に身を巨巌の上にぶつけて、骨も肉もめちゃめちゃに砕いて しまいたくなる。


 それでも我慢してじっと坐っていた。
堪えがたいほど切ないものを胸に盛れて忍んでいた。
その切ないものが身体中の筋肉を下から持上げて、毛穴から外へ吹 き出よう吹き出ようと焦るけれども、どこも一面に塞がって、まる で出口がないような残刻極まる状態であった。


 そのうちに頭が変になった。
行灯も蕪村の画も、畳も、違棚も有って無いような、無くって有る ように見えた。

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【ブンゴウメール】夢十夜 (5/29)

(767字。目安の読了時間:2分)


ははあ怒ったなと云って笑った。
口惜(くや)しければ悟った証拠を持って来いと云ってぷいと向( むこう)をむいた。
怪(け)しからん。


 隣の広間の床に据(す)えてある置時計が次の刻(とき)を打つま でには、きっと悟って見せる。
悟った上で、今夜また入室(にゅうしつ)する。
そうして和尚の首と悟りと引替(ひきかえ)にしてやる。
悟らなければ、和尚の命が取れない。
どうしても悟らなければならない。
自分は侍である。


 もし悟れなければ自刃(じじん)する。
侍が辱(はずか)しめられて、生きている訳には行かない。
綺麗(きれい)に死んでしまう。


 こう考えた時、自分の手はまた思わず布団(ふとん)の下へ這入( はい)った。
そうして朱鞘(しゅざや)の短刀を引(ひ)き摺(ず)り出した。
ぐっと束(つか)を握って、赤い鞘を向へ払ったら、冷たい刃(は )が一度に暗い部屋で光った。
凄(すご)いものが手元から、すうすうと逃げて行くように思われ る。
そうして、ことごとく切先(きっさき)へ集まって、殺気(さっき )を一点に籠(こ)めている。
自分はこの鋭い刃が、無念にも針の頭のように縮(ちぢ)められて 、九寸(くすん)五分(ごぶ)の先へ来てやむをえず尖(とが) ってるのを見て、たちまちぐさりとやりたくなった。
身体(からだ)の血が右の手首の方へ流れて来て、握っている束が にちゃにちゃする。
唇(くちびる)が顫(ふる)えた。


 短刀を鞘へ収めて右脇へ引きつけておいて、それから全伽(ぜんが )を組んだ。
――趙州(じょうしゅう)曰く無(む)と。
無とは何だ。
糞坊主(くそぼうず)めとはがみをした。


 奥歯を強く咬(か)み締(し)めたので、鼻から熱い息が荒く出る 。

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【ブンゴウメール】夢十夜 (4/29)

(687字。目安の読了時間:2分)

 

自分が百合から顔を離す拍子(ひょうし)に思わず、遠い空を見た ら、暁(あかつき)の星がたった一つ瞬(またた)いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

 

第二夜


 こんな夢を見た。


 和尚(おしょう)の室を退(さ)がって、廊下(ろうか)伝(づた )いに自分の部屋へ帰ると行灯(あんどう)がぼんやり点(とも) っている。
片膝(かたひざ)を座蒲団(ざぶとん)の上に突いて、灯心を掻( か)き立てたとき、花のような丁子(ちょうじ)がぱたりと朱塗の 台に落ちた。
同時に部屋がぱっと明かるくなった。


 襖(ふすま)の画(え)は蕪村(ぶそん)の筆である。
黒い柳を濃く薄く、遠近(おちこち)とかいて、寒(さ)むそうな 漁夫が笠(かさ)を傾(かたぶ)けて土手の上を通る。
床(とこ)には海中文殊(かいちゅうもんじゅ)の軸(じく)が懸 (かか)っている。
焚(た)き残した線香が暗い方でいまだに臭(にお)っている。
広い寺だから森閑(しんかん)として、人気(ひとけ)がない。
黒い天井(てんじょう)に差す丸行灯(まるあんどう)の丸い影が 、仰向(あおむ)く途端(とたん)に生きてるように見えた。


 立膝(たてひざ)をしたまま、左の手で座蒲団(ざぶとん)を捲( めく)って、右を差し込んで見ると、思った所に、ちゃんとあった 。
あれば安心だから、蒲団をもとのごとく直(なお)して、その上に どっかり坐(すわ)った。


 お前は侍(さむらい)である。
侍なら悟れぬはずはなかろうと和尚(おしょう)が云った。
そういつまでも悟れぬところをもって見ると、御前は侍ではあるま いと言った。
人間の屑(くず)じゃと言った。

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【ブンゴウメール】夢十夜 (3/29)

(784字。目安の読了時間:2分)


抱(だ)き上(あ)げて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し 暖くなった。


 自分は苔(こけ)の上に坐った。
これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら、腕組を して、丸い墓石(はかいし)を眺めていた。
そのうちに、女の云った通り日が東から出た。
大きな赤い日であった。
それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。
赤いまんまでのっと落ちて行った。
一つと自分は勘定(かんじょう)した。


 しばらくするとまた唐紅(からくれない)の天道(てんとう)がの そりと上(のぼ)って来た。
そうして黙って沈んでしまった。
二つとまた勘定した。


 自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいく つ見たか分らない。
勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り 越して行った。
それでも百年がまだ来ない。
しまいには、苔(こけ)の生(は)えた丸い石を眺めて、自分は女 に欺(だま)されたのではなかろうかと思い出した。


 すると石の下から斜(はす)に自分の方へ向いて青い茎(くき)が 伸びて来た。
見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。
と思うと、すらりと揺(ゆら)ぐ茎(くき)の頂(いただき)に、 心持首を傾(かたぶ)けていた細長い一輪の蕾(つぼみ)が、ふっ くらと弁(はなびら)を開いた。
真白な百合(ゆり)が鼻の先で骨に徹(こた)えるほど匂った。
そこへ遥(はるか)の上から、ぽたりと露(つゆ)が落ちたので、 花は自分の重みでふらふらと動いた。
自分は首を前へ出して冷たい露の滴(したた)る、白い花弁(はな びら)に接吻(せっぷん)した。

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【ブンゴウメール】夢十夜 (2/29)

(737字。目安の読了時間:2分)

 

そうして天から落ちて来る星の破片(かけ)を墓標(はかじるし) に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢(あ )いに来ますから」

 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。


「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出 るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ 、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、 待っていられますか」

 自分は黙って首肯(うなず)いた。
女は静かな調子を一段張り上げて、

「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。


「百年、私の墓の傍(そば)に坐って待っていて下さい。きっと逢 いに来ますから」

 自分はただ待っていると答えた。
すると、黒い眸(ひとみ)のなかに鮮(あざやか)に見えた自分の 姿が、ぼうっと崩(くず)れて来た。
静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、 女の眼がぱちりと閉じた。
長い睫(まつげ)の間から涙が頬へ垂れた。
――もう死んでいた。


 自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。
真珠貝は大きな滑(なめら)かな縁(ふち)の鋭(する)どい貝で あった。
土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。
湿(しめ)った土の匂(におい)もした。
穴はしばらくして掘れた。
女をその中に入れた。
そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。
掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。


 それから星の破片(かけ)の落ちたのを拾って来て、かろく土の上 へ乗せた。
星の破片は丸かった。
長い間大空を落ちている間(ま)に、角(かど)が取れて滑(なめ ら)かになったんだろうと思った。

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【ブンゴウメール】夢十夜 (1/29)

(747字。目安の読了時間:2分)



第一夜


 こんな夢を見た。


 腕組をして枕元に坐(すわ)っていると、仰向(あおむき)に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。
女は長い髪を枕に敷いて、輪郭(りんかく)の柔(やわ)らかな瓜実(うりざね)顔(がお)をその中に横たえている。
真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇(くちびる)の色は無論赤い。
とうてい死にそうには見えない。
しかし女は静かな声で、もう死にますと判然(はっきり)云った。
自分も確(たしか)にこれは死ぬなと思った。
そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗(のぞ)き込むようにして聞いて見た。
死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開(あ)けた。
大きな潤(うるおい)のある眼で、長い睫(まつげ)に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。
その真黒な眸(ひとみ)の奥に、自分の姿が鮮(あざやか)に浮かんでいる。


 自分は透(す)き徹(とお)るほど深く見えるこの黒眼の色沢(つや)を眺めて、これでも死ぬのかと思った。
それで、ねんごろに枕の傍(そば)へ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。
すると女は黒い眼を眠そうに(みはっ)たまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。


 じゃ、私(わたし)の顔が見えるかいと一心(いっしん)に聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。
自分は黙って、顔を枕から離した。
腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。


 しばらくして、女がまたこう云った。


「死んだら、埋(う)めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。

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