ブンゴウメール公式ブログ

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2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

秘密(30/30)

(527字。目安の読了時間:2分)丁度道了権現の向い側の、ぎっしり並んだ家と家との庇間を分けて、殆(ほとん)ど眼につかないような、細い、ささやかな小路のあるのを見つけ出した時、私は直覚的に女の家がその奥に潜んで居ることを知った。中へ這入って行…

秘密(29/30)

(609字。目安の読了時間:2分)いつぞや小紋の縮緬を買った古着屋の店もつい二三間先に見えて居る。不思議な小路は、三味線堀と仲お徒町の通りを横に繋(つな)いで居る街路であったが、どうも私は今迄其処を通った覚えがなかった。散々私を悩ました精美堂…

秘密(28/30)

(554字。目安の読了時間:2分)何とかして、あの町の在りかを捜し出そうと苦心した揚句、私は漸く一策を案じ出した。長い年月の間、毎夜のように相乗りをして引き擦り廻されて居るうちに、雷門で俥がくるくると一つ所を廻る度数や、右に折れ左に曲る回数ま…

秘密(27/30)

(510字。目安の読了時間:2分)賑やかな商店の多い小路で突きあたりに印形屋の看板の見える街、―――どう考えて見ても、私は今迄通ったことのない往来の一つに違いないと思った。子供時代に経験したような謎の世界の感じに、再び私は誘われた。「あなた、あの…

秘密(26/30)

(576字。目安の読了時間:2分)「そうなれば、あたしはもう『夢の中の女』ではありません。あなたは私を恋して居るよりも、夢の中の女を恋して居るのですもの。」いろいろに言葉を尽して頼んだが、私は何と云っても聴き入れなかった。「仕方がない、そんな…

秘密(25/30)

(625字。目安の読了時間:2分)「夢の中の女」「秘密の女」朦朧(もうろう)とした、現実とも幻覚とも区別の附かない Love adventure の面白さに、私はそれから毎晩のように女の許に通い、夜半の二時頃迄遊んでは、また眼かくしをして、雷門まで送り返され…

秘密(24/30)

(600字。目安の読了時間:2分)襟のかかった渋い縞(しま)お召に腹合わせ帯をしめて、銀杏返しに結って居る風情の、昨夜と恐ろしく趣が変っているのに、私は先ず驚かされた。「あなたは、今夜あたしがこんな風をして居るのは可笑しいと思っていらッしゃる…

秘密(23/30)

(526字。目安の読了時間:2分)再びざらざらした男の手が私を導きながら狭そうな路次を二三間行くと、裏木戸のようなものをギーと開けて家の中へ連れて行った。眼を塞がれながら一人座敷に取り残されて、暫く座っていると、間もなく襖(ふすま)の開く音が…

秘密(22/30)

(576字。目安の読了時間:2分)しめっぽい匂いのする幌(ほろ)の上へ、ぱらぱらと雨の注ぐ音がする。疑いもなく私の隣りには女が一人乗って居る。お白粉の薫りと暖かい体温が、幌の名へ蒸すように罩(こも)っていた。轅(かじ)を上げた俥は、方向を晦(…

秘密(21/30)

(617字。目安の読了時間:2分)夥(おびただ)しい雨量が、天からざあざあと直瀉する喧囂(けんごう)の中に、何もかも打ち消されて、ふだん賑(にぎ)やかな広小路の通りも大概雨戸を締め切り、二三人の臀端折りの男が、敗走した兵士のように駈(か)け出…

秘密(20/30)

(562字。目安の読了時間:2分)其処にて当方より差し向けたるお迎いの車夫が、必ず君を見つけ出して拙宅へご案内致す可く候。君の御住所を秘し給うと同様に、妾も今の在り家を御知らせ致さぬ所存にて、車上の君に眼隠しをしてお連れ申すよう取りはからわせ…

秘密(19/30)

(574字。目安の読了時間:2分)大分昔よりは年功を経ているらしい相手の力量を測らずに、あのような真似をして、却って弱点を握られはしまいか。いろいろの不安と疑惧に挟まれながら私は寺へ帰った。いつものように上着を脱いで、長襦袢一枚になろうとする…

秘密(18/30)

(579字。目安の読了時間:2分)こう思うと、抑え難い欲望に駆られてしなやかな女の体を、いきなりむずと鷲掴(わしづか)みにして、揺す振って見たくもなった。君は予の誰なるかを知り給うや。今夜久しぶりに君を見て、予は再び君を恋し始めたり。今一度、…

秘密(17/30)

(553字。目安の読了時間:2分)男と対談する間にも時々夢のような瞳を上げて、天井を仰いだり、眉根を寄せて群衆を見下ろしたり、真っ白な歯並みを見せて微笑んだり、その度毎に全く別趣の表情が、溢れんばかりに湛(たた)えられる。如何なる意味をも鮮や…

秘密(16/30)

(638字。目安の読了時間:2分)あの時分やや小太りに肥えて居た女は、神々しい迄(まで)に痩せて、すッきりとして、睫毛の長い潤味を持った円い眼が、拭うが如くに冴(さ)え返り、男を男とも思わぬような凜々(りり)しい権威さえ具えている。触るるもの…

秘密(15/30)

(604字。目安の読了時間:2分)の薫りの高い烟を私の顔に吹き附けながら、指に篏(は)めて居る宝石よりも鋭く輝く大きい瞳を、闇の中できらりと私の方へ注いだ。あでやかな姿に似合わぬ太棹の師匠のような皺嗄(しわが)れた声、―――その声は紛れもない、私…

秘密(14/30)

(614字。目安の読了時間:2分)時々映画が消えてぱッと電燈がつくと、渓底から沸き上る雲のように、階下の群衆の頭の上を浮動して居る煙草の烟(けむり)の間を透かして、私は真深いお高祖頭巾の蔭から、場内に溢(あふ)れて居る人々の顔を見廻した。そう…

秘密(13/30)

(579字。目安の読了時間:2分)地獄極楽の図を背景にして、けばけばしい長襦袢のまま、遊女の如くなよなよと蒲団の上へ腹這って、例の奇怪な書物のページを夜更くる迄飜(ひるがえ)すこともあった。次第に扮装も巧くなり、大胆にもなって、物好きな聯想を…

秘密(12/30)

(635字。目安の読了時間:2分)甘いへんのうの匂いと、囁(ささや)くような衣摺れの音を立てて、私の前後を擦れ違う幾人の女の群も、皆私を同類と認めて訝(あや)しまない。そうしてその女達の中には、私の優雅な顔の作りと、古風な衣裳の好みとを、羨ま…

秘密(11/30)

(539字。目安の読了時間:2分)私は自分で自分の手の美しさに惚(ほ)れ惚(ぼ)れとした。このような美しい手を、実際に持っている女と云う者が、羨ましく感じられた。芝居の弁天小僧のように、こう云う姿をして、さまざまの罪を犯したならば、どんなに面…

秘密(10/30)

(576字。目安の読了時間:2分)文士や画家の芸術よりも、俳優や芸者や一般の女が、日常自分の体の肉を材料として試みている化粧の技巧の方が、遥(はる)かに興味の多いことを知った。長襦袢、半襟、腰巻、それからチュッチュッと鳴る紅絹裏の袂、―――私の肉…

秘密(9/30)

(638字。目安の読了時間:2分)女物に限らず、凡べて美しい絹物を見たり、触れたりする時は、何となく顫い附きたくなって、丁度恋人の肌の色を眺めるような快感の高潮に達することが屡々であった。殊に私の大好きなお召や縮緬を、世間憚(はばか)らず、恣…

秘密(8/30)

(602字。目安の読了時間:2分)畳の上に投げ出された無数の書物からは、惨殺、麻酔、魔薬、妖女、宗教―――種々雑多の傀儡(かいらい)が、香の煙に溶け込んで、朦朧(もうろう)と立ち罩(こ)める中に、二畳ばかりの緋毛氈を敷き、どんよりとした蛮人のよう…

秘密(7/30)

(579字。目安の読了時間:2分)その中には、コナンドイルの The Sign of Four や、ドキンシイの Murder, Considered as one of the fine arts や、アラビアンナイトのようなお伽噺(とぎばなし)から、仏蘭西の不思議な Sexuology の本なども交っていた。此…

秘密(6/30)

(669字。目安の読了時間:2分)私は秘密と云う物の面白さを、子供の時分からしみじみと味わって居た。かくれんぼ、宝さがし、お茶坊主のような遊戯―――殊に、それが闇の晩、うす暗い物置小屋や、観音開きの前などで行われる時の面白味は、主としてその間に「…

秘密(5/30)

(551字。目安の読了時間:2分)微細な感受性の働きを要求する一流の芸術だとか、一流の料理だとかを翫味するのが、不可能になっていた。下町の粋と云われる茶屋の板前に感心して見たり、仁左衛門や鴈治郎の技巧を賞美したり、凡べて在り来たりの都会の歓楽…

秘密(4/30)

(557字。目安の読了時間:2分)浅草橋と和泉橋は幾度も渡って置きながら、その間にある左衛門橋を渡ったことがない。二長町の市村座へ行くのには、いつも電車通りからそばやの角を右へ曲ったが、あの芝居の前を真っ直ぐに柳盛座の方へ出る二三町ばかりの地…

秘密(3/30)

(571字。目安の読了時間:2分)私はその時まで、たびたび八幡様へお参りをしたが、未だ嘗(かつ)て境内の裏手がどんなになっているか考えて見たことはなかった。いつも正面の鳥居の方から社殿を拝むだけで、恐らくパノラマの絵のように、表ばかりで裏のな…

秘密(2/30)

(570字。目安の読了時間:2分)同時に又こんな事も考えて見た。―――己は随分旅行好きで、京都、仙台、北海道から九州までも歩いて来た。けれども未だこの東京の町の中に、人形町で生れて二十年来永住している東京の町の中に、一度も足を蹈(ふ)み入れた事の…

秘密(1/30)

(525字。目安の読了時間:2分)その頃私は或(あ)る気紛れな考から、今迄自分の身のまわりを裹(つつ)んで居た賑(にぎ)やかな雰囲気を遠ざかって、いろいろの関係で交際を続けて居た男や女の圏内から、ひそかに逃れ出ようと思い、方々と適当な隠れ家を…