ブンゴウメール公式ブログ

青空文庫の作品を1ヶ月で読めるように毎日小分けでメール配信してくれるサービス「ブンゴウメール」のブログです

2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

トカトントン(31/31)

(411字。目安の読了時間:1分)花江さんなんて女もいないし、デモも見たのじゃないんです。その他の事も、たいがいウソのようです。 しかし、トカトントンだけは、ウソでないようです。読みかえさず、このままお送り致します。敬具。 この奇異なる手紙を受…

トカトントン(30/31)

(468字。目安の読了時間:1分)「人生というのは、一口に言ったら、なんですか」 と私は昨夜、伯父の晩酌の相手をしながら、ふざけた口調で尋ねてみました。「人生、それはわからん。しかし、世の中は、色と慾さ」 案外の名答だと思いました。そうして、ふ…

トカトントン(29/31)

(494字。目安の読了時間:1分)ほとんど虚無の情熱だと思いました。それが、その時の私の空虚な気分にぴったり合ってしまったのです。 私は局員たちを相手にキャッチボールをはじめました。へとへとになるまで続けると、何か脱皮に似た爽やかさが感ぜられ、…

トカトントン(28/31)

(472字。目安の読了時間:1分)このひとたちが、一等をとったって二等をとったって、世間はそれにほとんど興味を感じないのに、それでも生命懸けで、ラストヘビーなんかやっているのです。別に、この駅伝競争に依って、所謂文化国家を建設しようという理想…

トカトントン(27/31)

(435字。目安の読了時間:1分)…の指の股を蛙(かえる)の手のようにひろげ、空気を掻き分けて進むというような奇妙な腕の振り工合で、そうしてまっぱだかにパンツ一つ、もちろん裸足で、大きい胸を高く突き上げ、苦悶の表情よろしく首をそらして左右にうご…

トカトントン(26/31)

(659字。目安の読了時間:2分)あのトカトントンの幻聴は、虚無をさえ打ちこわしてしまうのです。 夏になると、この地方の青年たちの間で、にわかにスポーツ熱がさかんになりました。私には多少、年寄りくさい実利主義的な傾向もあるのでしょうか、何の意味…

トカトントン(25/31)

(462字。目安の読了時間:1分)若い女のひとたちも、手に旗を持って労働歌を歌い、私は胸が一ぱいになり、涙が出ました。ああ、日本が戦争に負けて、よかったのだと思いました。生れてはじめて、真の自由というものの姿を見た、と思いました。もしこれが、…

トカトントン(24/31)

(405字。目安の読了時間:1分)…てはしゃいでいるけれども、これはまた敗戦便乗とでもいうのでしょうか、無条件降伏の屍(しかばね)にわいた蛆虫のような不潔な印象を消す事が出来ず、四月十日の投票日にも私は、伯父の局長から自由党の加藤さんに入れるよ…

トカトントン(23/31)

(678字。目安の読了時間:2分)また自分が、どのような運動に参加したって、所詮はその指導者たちの、名誉慾か権勢慾の乗りかかった船の、犠牲になるだけの事だ。何の疑うところも無く堂々と所信を述べ、わが言に従えば必ずや汝(なんじ)自身ならびに汝の…

トカトントン(22/31)

(503字。目安の読了時間:2分) それからも、花江さんは相変らず、一週間か十日目くらいに、お金を持って来て貯金して、もういまでは何千円かの額になっていますが、私には少しも興味がありません。花江さんの言ったように、それはおかみさんのお金なのか、…

トカトントン(21/31)

(527字。目安の読了時間:2分)あたし、あなたに、誤解されてやしないかと思って、あなたに一こと言いたくって、それできょうね、思い切って」 その時、実際ちかくの小屋から、トカトントンという釘打つ音が聞えたのです。この時の音は、私の幻聴ではなかっ…

トカトントン(20/31)

(489字。目安の読了時間:1分)「そう思うのが当然ね」と言って花江さんは、うつむき、はだかの脚に砂を掬(すく)って振りかけながら、「あれはね、あたしのお金じゃないのよ。あたしのお金だったら、貯金なんかしやしないわ。いちいち貯金なんて、めんど…

トカトントン(19/31)

(464字。目安の読了時間:1分) 花江さんがさきに、それから五、六歩はなれて私が、ゆっくり海のほうへ歩いて行きました。そうして、それくらい離れて歩いているのに、二人の歩調が、いつのまにか、ぴったり合ってしまって、困りました。曇天で、風が少しあ…

トカトントン(18/31)

(439字。目安の読了時間:1分) 私は時計を見ました。二時すこし過ぎでした。それから五時まで、だらしない話ですが、私は何をしていたか、いまどうしても思い出す事が出来ないのです。きっと、何やら深刻な顔をして、うろうろして、突然となりの女の局員に…

トカトントン(17/31)

(478字。目安の読了時間:1分)あの、れいの鏡花の小説に出て来る有名な、せりふ、「死んでも、ひとのおもちゃになるな!」と、キザもキザ、それに私のような野暮な田舎者には、とても言い出し得ない台詞ですが、でも私は大まじめに、その一言を言ってやり…

トカトントン(16/31)

(483字。目安の読了時間:1分)まさか、いい旦那がついたから、とも思いませんが、私は花江さんの通帳に弐百円とか参百円とかのハンコを押すたんびに、なんだか胸がどきどきして顔があからむのです。 そうして次第に私は苦しくなりました。花江さんは決して…

トカトントン(15/31)

(495字。目安の読了時間:1分)以前は、宮城県にいたようで、貯金帳の住所欄には、以前のその宮城県の住所も書かれていて、そうして赤線で消されて、その傍にここの新しい住所が書き込まれています。女の局員たちの噂(うわさ)では、なんでも、宮城県のほ…

トカトントン(14/31)

(491字。目安の読了時間:1分)でも私は、その女のひとを好きで好きで仕方が無いんです。そのひとは、この海岸の部落にたった一軒しかない小さい旅館の、女中さんなのです。まだ、はたち前のようです。伯父の局長は酒飲みですから、何か部落の宴会が、その…

トカトントン(13/31)

(469字。目安の読了時間:1分)俺やお前のように、頭の悪い男は、むずかしい事を考えないようにするのがいいのだ」と言って笑い、私も苦笑しました。 この伯父は専門学校を出た筈(はず)の男ですが、さっぱりどこにもインテリらしい面影が無いんです。 そ…

トカトントン(12/31)

(509字。目安の読了時間:2分)ごはんの知らせが来ても、私は、からだ工合が悪いから、きょうは起きない、とぶっきらぼうに言い、その日は局でも一ばんいそがしかったようで、最も優秀な働き手の私に寝込まれて実にみんな困った様子でしたが、私は終日うつ…

トカトントン(11/31)

(572字。目安の読了時間:2分) そんなに働いて、死んだように眠って、そうして翌る朝は枕元の目ざまし時計の鳴ると同時にはね起き、すぐ局へ出て大掃除をはじめます。掃除などは、女の局員がする事になっていたのですが、その円貨切り換えの大騒ぎがはじま…

トカトントン(10/31)

(515字。目安の読了時間:2分)…山のような名家になろうなどという大それた野心を起す事はなく、まあ片田舎のディレッタント、そうして自分に出来る精一ぱいの仕事は、朝から晩まで郵便局の窓口に坐って、他人の紙幣をかぞえている事、せいぜいそれくらいの…

トカトントン(9/31)

(598字。目安の読了時間:2分)銭湯を出て、橋を渡り、家へ帰って黙々とめしを食い、それから自分の部屋に引き上げて、机の上の百枚ちかくの原稿をぱらぱらとめくって見て、あまりのばかばかしさに呆(あき)れ、うんざりして、破る気力も無く、それ以後の…

トカトントン(8/31)

(459字。目安の読了時間:1分)…書くにあたり、オネーギンの終章のような、あんなふうの華やかな悲しみの結び方にしようか、それともゴーゴリの「喧嘩噺(けんかばなし)」式の絶望の終局にしようか、などひどい興奮でわくわくしながら、銭湯の高い天井から…

トカトントン(7/31)

(696字。目安の読了時間:2分)…に私からミリタリズムの幻影を剥(は)ぎとってくれて、もう再び、あの悲壮らしい厳粛らしい悪夢に酔わされるなんて事は絶対に無くなったようですが、しかしその小さい音は、私の脳髄の金的を射貫いてしまったものか、それ以…

トカトントン(6/31)

(498字。目安の読了時間:1分)前方の森がいやにひっそりして、漆黒に見えて、そのてっぺんから一むれの小鳥が一つまみの胡麻粒を空中に投げたように、音もなく飛び立ちました。 ああ、その時です。背後の兵舎のほうから、誰やら金槌で釘(くぎ)を打つ音が…

トカトントン(5/31)

(509字。目安の読了時間:2分) 昭和二十年八月十五日正午に、私たちは兵舎の前の広場に整列させられて、そうして陛下みずからの御放送だという、ほとんど雑音に消されて何一つ聞きとれなかったラジオを聞かされ、そうして、それから、若い中尉がつかつかと…

トカトントン(4/31)

(617字。目安の読了時間:2分)やがて、日本は無条件降伏という事になり、私も故郷にかえり、Aの郵便局に勤めましたが、こないだ青森へ行ったついでに、青森の本屋をのぞき、あなたの作品を捜して、そうしてあなたも罹災して生れた土地の金木町に来ている…

トカトントン(3/31)

(501字。目安の読了時間:2分)私はあなたが、あの豊田さんのお家にいらした事があるのだという事を知り、よっぽど当代の太左衛門さんにお願いして紹介状を書いていただき、あなたをおたずねしようかと思いましたが、小心者ですから、ただそれを空想してみ…

トカトントン(2/31)

(576字。目安の読了時間:2分)ここに勤めてから、もうかれこれ一箇年以上になりますが、日ましに自分がくだらないものになって行くような気がして、実に困っているのです。 私があなたの小説を読みはじめたのは、横浜の軍需工場で事務員をしていた時でした…