【ブンゴウメール】押絵と旅する男 (8/31)
(668字。目安の読了時間:2分)
何故であったか、その理由は今でも分らないのだが、何となくそうしなければならぬ感じがして、数秒の間目をふさいでいた。
再び目を開いた時、私の前に、嘗て見たことのない様な、奇妙なものがあった。
と云って、私はその「奇妙」な点をハッキリと説明する言葉を持たぬのだが。
額には歌舞伎芝居の御殿の背景みたいに、幾つもの部屋を打抜いて、極度の遠近法で、青畳と格子天井が遙か向うの方まで続いている様な光景が、藍を主とした泥絵具で毒々しく塗りつけてあった。
左手の前方には、墨黒々と不細工な書院風の窓が描かれ、同じ色の文机が、その傍に角度を無視した描き方で、据えてあった。
それらの背景は、あの絵馬札の絵の独特な画風に似ていたと云えば、一番よく分るであろうか。
その背景の中に、一尺位の丈の二人の人物が浮き出していた。
浮き出していたと云うのは、その人物丈けが、押絵細工で出来ていたからである。
黒天鵞絨の古風な洋服を着た白髪の老人が、窮屈そうに坐っていると、(不思議なことには、その容貌が、髪の色を除くと、額の持主の老人にそのままなばかりか、着ている洋服の仕立方までそっくりであった)緋鹿の子の振袖に、黒繻子の帯の映りのよい十七八の、水のたれる様な結綿の美少女が、何とも云えぬ嬌羞を含んで、その老人の洋服の膝にしなだれかかっている、謂(い)わば芝居の濡れ場に類する画面であった。
洋服の老人と色娘の対照と、甚だ異様であったことは云うまでもないが、だが私が「奇妙」に感じたというのはそのことではない。
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