【ブンゴウメール】押絵と旅する男 (26/31)
(645字。目安の読了時間:2分)
その時分には、もう日が暮かけて、人足もまばらになり、覗きの前にも、二三人のおかっぱの子供が、未練らしく立去り兼ねて、うろうろしているばかりでした。
昼間からどんよりと曇っていたのが、日暮には、今にも一雨来そうに、雲が下って来て、一層圧えつけられる様な、気でも狂うのじゃないかと思う様な、いやな天候になって居りました。
そして、耳の底にドロドロと太鼓の鳴っている様な音が聞えているのですよ。
その中で、兄は、じっと遠くの方を見据えて、いつまでもいつまでも、立ちつくして居りました。
その間が、たっぷり一時間はあった様に思われます。
もうすっかり暮切って、遠くの玉乗りの花瓦斯(はなガス)が、チロチロと美しく輝き出した時分に、兄はハッと目が醒めた様に、突然私の腕を掴(つか)んで『アア、いいことを思いついた。
お前、お頼みだから、この遠眼鏡をさかさにして、大きなガラス玉の方を目に当てて、そこから私を見ておくれでないか』と、変なことを云い出しました。
『何故です』って尋ねても、『まあいいから、そうしてお呉れな』と申して聞かないのでございます。
一体私は生れつき眼鏡類を、余り好みませんので、遠眼鏡にしろ、顕微鏡にしろ、遠い所の物が、目の前へ飛びついて来たり、小さな虫けらが、けだものみたいに大きくなる、お化じみた作用が薄気味悪いのですよ。
で、兄の秘蔵の遠眼鏡も、余り覗いたことがなく、覗いたことが少い丈けに、余計それが魔性の器械に思われたものです。
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