犬を連れた奥さん(17/30) - ブンゴウメール
ブンゴウメール
(798字。目安の読了時間:2分)
彼はいつまでも部屋の中を行きつ戻りつしながら、思い出をたぐったり微笑んだりするのだったが、そのうち思い出はだんだん空想に変わって行き、過去が想像のなかで未来のことと混り合うようになった。
アンナ・セルゲーヴナは夢には現われずに、どこへでもまるで影のように後からついて来て、彼を見まもっていた。
眼をつぶると、彼女の面影がまるで現身のようにまざまざと見え、しかも以前より美しく、若やいで、あでやかさを加えたような気がした。
また彼自身もヤールタにいた頃より、われながら風采が上がったような気がした。
来る夜も来る夜も彼女は書棚の中から、壁炉の中から、部屋の片隅から、じっと彼を見つめていて、彼にはその息づかいや、優しい衣ずれの音が聞こえるのだった。
街へ出ると彼は女たちの姿を見送り見送り、彼女に似た女がいはしまいかと捜すのだった。
……
そのうちにもう、自分の思い出話を誰かに聞かせたくてほとほと堪らなくなってしまった。
しかしわが家でのろけ話もできないし、さりとて家の外にも相手がみつからない。
まさか店子を相手にやるわけにも行かず、銀行にもこれといった相手がない。
それにまた何の話すことがあるのだろう? 自分はあのとき果して恋をしていたのかしら? いったい自分がアンナ・セルゲーヴナと結んだ関係には、何かこう美しいもの、詩的なもの、またはためになるもの、あるいは単に面白いものでもいい、果してそれがあっただろうか? そこで余儀なく漠然と恋愛や女性のことを話してみるのだったが、誰ひとりとして彼の言わんと欲するところを察してくれる人はなく、ただ彼の妻がその濃い眉をもぐもぐさせながら、こう言っただけだった。
――
「ヂミートリイ、あんたは二枚目なんぞの柄じゃまるでなくってよ」
ある夜ふけのこと、遊び仲間の役人と連れだって医師クラブを出ながら、彼はとうとう我慢がならなくなって口を切った。
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