犬を連れた奥さん(23/30) - ブンゴウメール
ブンゴウメール
(748字。目安の読了時間:2分)
――
「ご機嫌よう」
彼女は彼の顔を見るとさっとばかり蒼ざめたが、やがてもう一ぺん、わが眼が信じられないといった風に、恐る恐る彼の方をふり仰ぎ、両手のうちにぎゅっと扇を柄付眼鏡もろとも握りしめた。
てっきりそれは、気を失うまいと自分を相手に闘っているものらしい。
二人とも無言だった。
彼女は坐ったままだったし、彼は彼で、女のうろたえように度胆を抜かれて、隣へ腰をおろす決心がつかずに立っていた。
調子を合わせるヴァイオリンとフルートの音がしだすと、彼はまるでそこらじゅうのボックスから見つめられているような気がして、急にそら恐ろしくなった。
がそのとき彼女はつと席を立つと、足早に出口を指して行く。
彼もそのあとを追って、それから二人は唯もうでたらめに、廊下から階段へ階段から廊下へと昇ったり降りたりして行った。
二人の眼のまえには、法官服や教師の服や御料地事務官の服をつけた人々が、思い思いの徽章を胸に、絶えずちらちらしていた。
婦人連の姿や、外套掛けにさがった毛皮外套も眼にちらつき、かと思うと吹き抜け風がむっと吸いさしの煙草の臭いを吹きつけたりした。
そしてグーロフは、激しい動悸を抑えながら、心のなかで思うのだった。
――
『やれやれ情けない! いったい何ごとだろう、この連中は、あのオーケストラは……』
するとそのとき不意に、彼はあの晩がた停車場でアンナ・セルゲーヴナを見送ってから、これで万事おしまいだ、もう二度と会うことはあるまい、と心につぶやいたことを思い出した。
それが、おしまいまではまだまだ何と遠いことだろう!
『立見席御入口』と掲示の出ている狭い薄暗い階段の中途で、彼女は立ちどまった。
「ずいぶん人をびっくりさせる方ねえ!」と彼女は苦しそうに息をつきながら言った。
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