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幸福への意志(1/30)

(589字。目安の読了時間:2分)

 老ホフマンはその金を、南アメリカの耕地の持主として、儲けたのであった。
彼地で家柄のよい土着の娘と結婚してから、まもなく妻を連れて、故郷の北ドイツへ引き移った。
二人は僕の生れた町で暮していた。
ホフマンのほかの家族たちも、そこに住みついていたのである。
パオロはこの町で生れた。
 その両親を僕は、しかしあまりよく知らなかった。
が、ともかくパオロはお母さんに生き写しだった。
僕がパオロをはじめて見た時、つまり両方の父親たちが僕等をはじめて学校に連れて行った時、パオロは黄ばんだ顔色の、やせこけた小僧だった。
今でも眼に浮かんでくる。
彼はその時、黒い髪の毛を長くうねらせていたが、それがもじゃもじゃと水兵服の襟に垂れかかって、小さな細面をふちどっていた。
 僕等は家では非常に仕合せに暮していたのだから、新しい周囲――殺風景な教室や、なかんずく僕等にぜひともABCを教えようとする、赤髯の小汚ない人間どもには、どうしても不服だった。
僕は帰って行こうとする父親の上着を、泣きながらつかんで放さなかったが、パオロのほうは、まるで忍従の態度を取っていた。
身動きもしないで壁によりかかって、薄い唇をきっと結んだなり、涙で一ぱいの大きな眼で、景気のいいほかの少年たちを眺めていたのである。
その連中は横腹を突つき合いながら、冷酷ににやにや笑っていた。

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【文豪紹介】
トーマス・マン(1875-1955)
ドイツを代表する小説家。1929年にノーベル文学賞を受賞。ナチス政権樹立後は国外に亡命し、戦後もアメリカ・スイスで作家生活を続けた。代表作は『トーニオ・クレーガー』『ヴェニスに死す』や『魔の山』など。

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