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秘密(20/30)

(562字。目安の読了時間:2分)

其処にて当方より差し向けたるお迎いの車夫が、必ず君を見つけ出して拙宅へご案内致す可く候。
君の御住所を秘し給うと同様に、妾も今の在り家を御知らせ致さぬ所存にて、車上の君に眼隠しをしてお連れ申すよう取りはからわせ候間、右御許し下され度、若しこの一事を御承引下され候わずば、妾は永遠に君を見ることかなわず、これに過ぎたる悲しみは無之候。
私はこの手紙を読んで行くうちに、自分がいつの間にか探偵小説中の人物となり終せて居るのを感じた。
不思議な好奇心と恐怖とが、頭の中で渦を巻いた。
女が自分の性癖を呑(の)み込んで居て、わざとこんな真似をするのかとも思われた。
明くる日の晩は素晴らしい大雨であった。
私はすっかり服装を改めて、対の大島の上にゴム引きの外套を纏(まと)い、ざぶん、ざぶんと、甲斐絹張りの洋傘に、滝の如くたたきつける雨の中を戸外へ出た。
新堀の溝が往来一円に溢れているので、私は足袋を懐へ入れたが、びしょびしょに濡(ぬ)れた素足が家並みのランプに照らされて、ぴかぴか光って居た。
夥(おびただ)しい雨量が、天からざあざあと直瀉する喧囂(けんごう)の中に、何もかも打ち消されて、ふだん賑(にぎ)やかな広小路の通りも大概雨戸を締め切り、二三人の臀端折りの男が、敗走した兵士のように駈(か)け出して行く。

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秘密(19/30)

(574字。目安の読了時間:2分)

大分昔よりは年功を経ているらしい相手の力量を測らずに、あのような真似をして、却って弱点を握られはしまいか。
いろいろの不安と疑惧に挟まれながら私は寺へ帰った。
いつものように上着を脱いで、長襦袢一枚になろうとする時、ぱらりと頭巾の裏から四角にたたんだ小さい洋紙の切れが落ちた。
「Mr. S. K.」
と書き続けたインキの痕をすかして見ると、玉甲斐絹のように光っている。
正しく彼女の手であった。
見物中、一二度小用に立ったようであったが、早くもその間に、返事をしたためて、人知れず私の襟元へさし込んだものと見える。
思いがけなき所にて思いがけなき君の姿を見申候。
たとい装いを変え給うとも、三年このかた夢寐にも忘れぬ御面影を、いかで見逃し候べき。
妾(わらわ)は始めより頭巾の女の君なる事を承知仕候。
それにつけても相変わらず物好きなる君にておわせしことの可笑しさよ。
妾に会わんと仰せらるるも多分はこの物好きのおん興じにやと心許なく存じ候えども、あまりの嬉(うれ)しさに兎角の分別も出でず、唯仰せに従い明夜は必ず御待ち申す可く候。
ただし、妾に少々都合もあり、考えも有之候えば、九時より九時半までの間に雷門までお出で下されまじくや。
其処にて当方より差し向けたるお迎いの車夫が、必ず君を見つけ出して拙宅へご案内致す可く候。

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秘密(18/30)

(579字。目安の読了時間:2分)

こう思うと、抑え難い欲望に駆られてしなやかな女の体を、いきなりむずと鷲掴(わしづか)みにして、揺す振って見たくもなった。
君は予の誰なるかを知り給うや。
今夜久しぶりに君を見て、予は再び君を恋し始めたり。
今一度、予と握手し給うお心はなきか。
明晩もこの席に来て、予を待ち給うお心はなきか。
予は予の住所を何人にも告げ知らす事を好まねば、唯願わくは明日の今頃、この席に来て予を待ち給え。
闇に紛れて私は帯の間から半紙と鉛筆を取出し、こんな走り書きをしたものをひそかに女の袂(たもと)へ投げ込んだ、そうして、又じッと先方の様子を窺っていた。
十一時頃、活動写真の終るまでは女は静かに見物していた。
観客が総立ちになってどやどやと場外へ崩れ出す混雑の際、女はもう一度、私の耳元で、
「……… Arrested at last. ………」
と囁(ささや)きながら、前よりも自信のある大胆な凝視を、私の顔に暫く注いで、やがて男と一緒に人ごみの中へ隠れてしまった。
「……… Arrested at last. ………」
女はいつの間にか自分を見附け出して居たのだ。
こう思って私は竦然とした。
それにしても明日の晩、素直に来てくれるであろうか。
大分昔よりは年功を経ているらしい相手の力量を測らずに、あのような真似をして、却って弱点を握られはしまいか。

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秘密(17/30)

(553字。目安の読了時間:2分)

男と対談する間にも時々夢のような瞳を上げて、天井を仰いだり、眉根を寄せて群衆を見下ろしたり、真っ白な歯並みを見せて微笑んだり、その度毎に全く別趣の表情が、溢れんばかりに湛(たた)えられる。
如何なる意味をも鮮やかに表し得る黒い大きい瞳は、場内の二つの宝石のように、遠い階下の隅からも認められる。
顔面の凡べての道具が単に物を見たり、嗅いだり、聞いたり、語ったりする機関としては、あまりに余情に富み過ぎて、人間の顔と云うよりも、男の心を誘惑する甘味ある餌食であった。
もう場内の視線は、一つも私の方に注がれて居なかった。
愚かにも、私は自分の人気を奪い去ったその女の美貌に対して、嫉妬と憤怒を感じ始めた。
嘗(かつ)ては自分が弄んで恣に棄ててしまった女の容貌の魅力に、忽(たちま)ち光を消されて蹈(ふ)み附けられて行く口惜しさ。
事に依ると女は私を認めて居ながら、わざと皮肉な復讐をして居るのではないであろうか。
私は美貌を羨む嫉妬の情が、胸の中で次第々々に恋慕の情に変って行くのを覚えた。
女としての競争に敗れた私は、今一度男として彼女を征服して勝ち誇ってやりたい。
こう思うと、抑え難い欲望に駆られてしなやかな女の体を、いきなりむずと鷲掴(わしづか)みにして、揺す振って見たくもなった。

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秘密(16/30)

(638字。目安の読了時間:2分)

あの時分やや小太りに肥えて居た女は、神々しい迄(まで)に痩せて、すッきりとして、睫毛の長い潤味を持った円い眼が、拭うが如くに冴(さ)え返り、男を男とも思わぬような凜々(りり)しい権威さえ具えている。
触るるものに紅の血が濁染むかと疑われた生々しい唇と、耳朶の隠れそうな長い生え際ばかりは昔に変らないが、鼻は以前よりも少し嶮(けわ)しい位に高く見えた。
女は果たして私に気が附いて居るのであろうか。
どうも判然と確かめることが出来なかった。
明りがつくと連れの男にひそひそ戯れて居る様子は、傍に居る私を普通の女と蔑んで、別段心にかけて居ないようでもあった。
実際その女の隣りに居ると、私は今迄得意であった自分の扮装を卑しまない訳には行かなかった。
表情の自由な、如何にも生き生きとした妖女の魅力に気圧されて、技巧を尽した化粧も着附けも、醜く浅ましい化物のような気がした。
女らしいと云う点からも、美しい器量からも、私は到底彼女の競争者ではなく、月の前の星のように果敢なく萎れて了うのであった。
朦々(もうもう)と立ち罩(こ)めた場内の汚れた空気の中に、曇りのない鮮明な輪郭をくッきりと浮かばせて、マントの蔭からしなやかな手をちらちらと、魚のように泳がせているあでやかさ。
男と対談する間にも時々夢のような瞳を上げて、天井を仰いだり、眉根を寄せて群衆を見下ろしたり、真っ白な歯並みを見せて微笑んだり、その度毎に全く別趣の表情が、溢れんばかりに湛(たた)えられる。

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秘密(15/30)

(604字。目安の読了時間:2分)

の薫りの高い烟を私の顔に吹き附けながら、指に篏(は)めて居る宝石よりも鋭く輝く大きい瞳を、闇の中できらりと私の方へ注いだ。
あでやかな姿に似合わぬ太棹の師匠のような皺嗄(しわが)れた声、―――その声は紛れもない、私が二三年前に上海へ旅行する航海の途中、ふとした事から汽船の中で暫く関係を結んで居たT女であった。
女はその頃から、商売人とも素人とも区別のつかない素振りや服装を持って居たように覚えて居る。
船中に同伴して居た男と、今夜の男とはまるで風采も容貌も変っているが、多分はこの二人の男の間を連結する無数の男が女の過去の生涯を鎖のように貫いて居るのであろう。
兎(と)も角その婦人が、始終一人の男から他の男へと、胡蝶(こちょう)のように飛んで歩く種類の女であることは確かであった。
二年前に船で馴染みになった時、二人はいろいろの事情から本当の氏名も名乗り合わず、境遇も住所も知らせずにいるうちに上海へ着いた。
そうして私は自分に恋い憧れている女を好い加減に欺き、こッそり跡をくらまして了った。
以来太平洋上の夢の中なる女とばかり思って居たその人の姿を、こんな処で見ようとは全く意外である。
あの時分やや小太りに肥えて居た女は、神々しい迄(まで)に痩せて、すッきりとして、睫毛の長い潤味を持った円い眼が、拭うが如くに冴(さ)え返り、男を男とも思わぬような凜々(りり)しい権威さえ具えている。

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(614字。目安の読了時間:2分)

時々映画が消えてぱッと電燈がつくと、渓底から沸き上る雲のように、階下の群衆の頭の上を浮動して居る煙草の烟(けむり)の間を透かして、私は真深いお高祖頭巾の蔭から、場内に溢(あふ)れて居る人々の顔を見廻した。
そうして私の旧式な頭巾の姿を珍しそうに窺(うかが)って居る男や、粋な着附けの色合を物欲しそうに盗み視ている女の多いのを、心ひそかに得意として居た。
見物の女のうちで、いでたちの異様な点から、様子の婀娜(あだ)っぽい点から、乃至器量の点からも、私ほど人の眼に着いた者はないらしかった。
始めは誰も居なかった筈(はず)の貴賓席の私の側の椅子が、いつの間に塞がったのか能くは知らないが、二三度目に再び電燈がともされた時、私の左隣りに二人の男女が腰をかけて居るのに気が附いた。
女は二十二三と見えるが、その実六七にもなるであろう。
髪を三つ輪に結って、総身をお召の空色のマントに包み、くッきりと水のしたたるような鮮やかな美貌ばかりを、これ見よがしに露わにして居る。
芸者とも令嬢とも判断のつき兼ねる所はあるが、連れの紳士の態度から推して、堅儀の細君ではないらしい。
「……… Arrested at last. ………」
と、女は小声で、フィルムの上に現れた説明書を読み上げて、土耳古巻の M. C. C. の薫りの高い烟を私の顔に吹き附けながら、指に篏(は)めて居る宝石よりも鋭く輝く大きい瞳を、闇の中できらりと私の方へ注いだ。

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