ブンゴウメール公式ブログ

青空文庫の作品を1ヶ月で読めるように毎日小分けでメール配信してくれるサービス「ブンゴウメール」のブログです

トカトントン(10/31)

(515字。目安の読了時間:2分)…山のような名家になろうなどという大それた野心を起す事はなく、まあ片田舎のディレッタント、そうして自分に出来る精一ぱいの仕事は、朝から晩まで郵便局の窓口に坐って、他人の紙幣をかぞえている事、せいぜいそれくらいの…

トカトントン(9/31)

(598字。目安の読了時間:2分)銭湯を出て、橋を渡り、家へ帰って黙々とめしを食い、それから自分の部屋に引き上げて、机の上の百枚ちかくの原稿をぱらぱらとめくって見て、あまりのばかばかしさに呆(あき)れ、うんざりして、破る気力も無く、それ以後の…

トカトントン(8/31)

(459字。目安の読了時間:1分)…書くにあたり、オネーギンの終章のような、あんなふうの華やかな悲しみの結び方にしようか、それともゴーゴリの「喧嘩噺(けんかばなし)」式の絶望の終局にしようか、などひどい興奮でわくわくしながら、銭湯の高い天井から…

トカトントン(7/31)

(696字。目安の読了時間:2分)…に私からミリタリズムの幻影を剥(は)ぎとってくれて、もう再び、あの悲壮らしい厳粛らしい悪夢に酔わされるなんて事は絶対に無くなったようですが、しかしその小さい音は、私の脳髄の金的を射貫いてしまったものか、それ以…

トカトントン(6/31)

(498字。目安の読了時間:1分)前方の森がいやにひっそりして、漆黒に見えて、そのてっぺんから一むれの小鳥が一つまみの胡麻粒を空中に投げたように、音もなく飛び立ちました。 ああ、その時です。背後の兵舎のほうから、誰やら金槌で釘(くぎ)を打つ音が…

トカトントン(5/31)

(509字。目安の読了時間:2分) 昭和二十年八月十五日正午に、私たちは兵舎の前の広場に整列させられて、そうして陛下みずからの御放送だという、ほとんど雑音に消されて何一つ聞きとれなかったラジオを聞かされ、そうして、それから、若い中尉がつかつかと…

トカトントン(4/31)

(617字。目安の読了時間:2分)やがて、日本は無条件降伏という事になり、私も故郷にかえり、Aの郵便局に勤めましたが、こないだ青森へ行ったついでに、青森の本屋をのぞき、あなたの作品を捜して、そうしてあなたも罹災して生れた土地の金木町に来ている…

トカトントン(3/31)

(501字。目安の読了時間:2分)私はあなたが、あの豊田さんのお家にいらした事があるのだという事を知り、よっぽど当代の太左衛門さんにお願いして紹介状を書いていただき、あなたをおたずねしようかと思いましたが、小心者ですから、ただそれを空想してみ…

トカトントン(2/31)

(576字。目安の読了時間:2分)ここに勤めてから、もうかれこれ一箇年以上になりますが、日ましに自分がくだらないものになって行くような気がして、実に困っているのです。 私があなたの小説を読みはじめたのは、横浜の軍需工場で事務員をしていた時でした…

トカトントン(1/31)

(474字。目安の読了時間:1分) 拝啓。 一つだけ教えて下さい。困っているのです。 私はことし二十六歳です。生れたところは、青森市の寺町です。たぶんご存じないでしょうが、寺町の清華寺の隣りに、トモヤという小さい花屋がありました。わたしはそのトモ…

幸福への意志(30/30)

(547字。目安の読了時間:2分)あのコップは別に大したものじゃなかったんだろうね。」 翌朝になると、天気は恢復した。僕等が停車場へ馬車を駆った時には、水色の夏空が頭上に笑っていた。 告別は短かかった。僕が幸福を祈ると、くれぐれも幸福を祈ると、…

幸福への意志(29/30)

(572字。目安の読了時間:2分) 僕等は今日もまた長い間、感歎しながら、この美しくも雄渾な群像を眺めつくしていた。それはたえず真青な閃光を浴びるので、なんだか不可思議なもののような感じがした。僕の連れはいった。「まったくだ。ベルニニなら、その…

幸福への意志(28/30)

(642字。目安の読了時間:2分)そしてもしも――これは腹蔵なき謙虚な問であります――貴兄においても、敬愛するホフマン兄よ、また同じ御事情であるならば、然らば小生等両親は、今後わが子の幸福の邪魔はすまいと思っていることを、小生はここに貴兄にむかっ…

幸福への意志(27/30)

(647字。目安の読了時間:2分)なぜ小生が――これはいくら強調しても足りないのですが――あらゆる点で大いに尊敬している人に、自分の娘を上げるのをおことわりせねばならぬかというわけを、小生は腹蔵なく正直に、残酷と思われる危険を冒してまでも、貴兄に…

幸福への意志(26/30)

(606字。目安の読了時間:2分)やがて、くるりと振り返ると、僕に一通の手紙を差し出して、ただ一言いった。「読んで見ろよ。」 僕は彼の顔を見た。黒い、熱に燃えた眼のある、この細い黄ばんだ病人らしい顔には、だいたい死だけが呼び起し得るような表情――…

幸福への意志(25/30)

(595字。目安の読了時間:2分)――なにかに支えられているんだね。はっと起き直って、なにかを考える。ある文句にかじりついて、それを二十ぺんも繰り返す。そのあいだ僕の眼は、廻りにあるいっさいの光と命とを、むさぼるように吸い込む……僕のいうことがわ…

幸福への意志(24/30)

(580字。目安の読了時間:2分)『どうしてあなたが、そういつまでも旅行して廻れるんだか、さっぱりわかりませんな。悪いことはいわないから、国へ帰って寝床につきたまえ』ってね。その医者は毎晩僕と一緒に、ドミノをやっていたもんだから、それでいつも…

幸福への意志(23/30)

(617字。目安の読了時間:2分)僕等は美しい晩夏の朝に乗じて、アッピア街道に散策を試み、この古代的な往還を、ずっと郊外までたどって行った後、糸杉の樹立にかこまれた、小さな丘の上で休んだ。丘からはあの大溝渠のある、明るいカムパニアと、柔かいも…

幸福への意志(22/30)

(578字。目安の読了時間:2分)――あしたの午前中は、ガレリア・ドリアにいるよ。サラチェニの模写をやっているんだがね、あの楽を奏でている天使に、僕はほれちゃったのさ。ぜひやって来てくれないか。君がこの土地へ来たのは実に嬉しいよ。お休み。」 それ…

幸福への意志(21/30)

(638字。目安の読了時間:2分)君が前に、その人から直接聞いたことのたしかめにすぎないんだ……」 そういって僕は、大勢の客がしゃべったり、手まねをしたりしているただなかで、あの夕方男爵令嬢が僕に語った言葉を、彼のために繰り返した。 彼はおもむろ…

幸福への意志(20/30)

(546字。目安の読了時間:2分) 僕が黙っているので、彼はこうつけ加えた。「五年以来だからな――とてもやりきれやしないよ。」 僕等は今まで両方で避けていた点に到達したのである。その時はじまった沈黙で、二人とも困りきっているのがよくわかった。――彼…

幸福への意志(19/30)

(573字。目安の読了時間:2分) そして彼は、僕と並んで一杯のソルベットオをすすりながら、この年月どう暮していたかを、物語りはじめた。――旅をして、たえず旅をして暮していたのだという。チロオルの山々をへめぐって、イタリアの中を端から端まで、ゆっ…

幸福への意志(18/30)

(583字。目安の読了時間:2分)そして開け放された方々の扉から、時々、新聞売子の尾を長く引いた呼び声が、広間の中へひびいてくる。 と、不意に僕は、僕と同年配ぐらいの紳士が一人、ゆっくり卓の間をぬって、出口の一つへと進んで行くのを見た。……あの歩…

幸福への意志(17/30)

(603字。目安の読了時間:2分)どこかでたったひとりで死のうとして、いっさいから逃れ去ったのである。そうとも、たしかに死ぬために違いない。なぜなら、こうなった以上、もう二度と彼に逢わぬだろうということは、僕にとっては、すでに悲しい見込みにな…

幸福への意志(16/30)

(590字。目安の読了時間:2分)あのかたはおからだが悪い、大変悪いと両親は私に申しましてね――でも、お悪くてもなんでも、私あのかたを愛しておりますのよ。こんな風にあなたにお話ししてもかまいませんのね。私――」 令嬢はちょっとまごついたが、また前と…

幸福への意志(15/30)

(610字。目安の読了時間:2分)完全にいつもの平静を保っていて、両親のほうはパオロの急な旅立ちについて、しきりに遺憾の意を述べたのに、彼女はその時まで、まだ一言も僕の友だちのことを、言い出したことがなかったのである。 その時僕等は相並んで、ミ…

幸福への意志(14/30)

(615字。目安の読了時間:2分) おや、あなた御存じないのですか――ホフマンは出立してしまったのですよ。あなたには知らせたろうと思っていましたが。」「なに、一言半句知らせはしません。」「じゃまったく ※ b※ton rompu(気まぐれ)なんですね……いわゆる…

幸福への意志(13/30)

(579字。目安の読了時間:2分)それから小声で、自信ありげにいった。「僕は幸福になるだろうと思っているよ。」 心から彼の手を握って、僕は別れを告げた。実は内々、ある危惧を制することができなかったのだけれども。 それから数週間すぎた。その間僕は…

幸福への意志(12/30)

(621字。目安の読了時間:2分)黄ばんだ細面にある黒い眼は、きわめて病的な輝きを帯びていたので、彼が男爵の問に対して、世にもたのもしげな調子で、次のように答えた時には、僕は聞いていて、なんだか気味が悪くなったほどだった。「いや、実に申しぶん…

幸福への意志(11/30)

(581字。目安の読了時間:2分) 僕は引き合されて、ごく慇懃な挨拶を受けた。一方僕の連れは、この家の心安い友だちの格で、みんなと握手したのである。 僕の身の上について、しばらく問答があった後、みんなはパオロの画が――女の裸体画が出ている展覧会の…