【ブンゴウメール】押絵と旅する男 (31/31)
(594字。目安の読了時間:2分)
外の人達の様に、私を気違いだとはおっしゃいませんでしょうね。アア、それで私も話甲斐があったと申すものですよ。どれ、兄さん達もくたびれたでしょう。それに、あなた方を前に置いて、あんな話をしましたので、さぞかし恥かしがっておいででしょう。では、今やすませて上げますよ」
と云いながら、押絵の額を、ソッと黒い風呂敷に包むのであった。
その刹那、私の気のせいであったのか、押絵の人形達の顔が、少しくずれて、一寸恥かし相に、唇の隅で、私に挨拶の微笑を送った様に見えたのである。
老人はそれきり黙り込んでしまった。
私も黙っていた。
汽車は相も変らず、ゴトンゴトンと鈍い音を立てて、闇の中を走っていた。
十分ばかりそうしていると、車輪の音がのろくなって、窓の外にチラチラと、二つ三つの燈火が見え、汽車は、どことも知れぬ山間の小駅に停車した。
駅員がたった一人、ぽっつりと、プラットフォームに立っているのが見えた。
「ではお先へ、私は一晩ここの親戚へ泊りますので」
老人は額の包みを抱てヒョイと立上り、そんな挨拶を残して、車の外へ出て行ったが、窓から見ていると、細長い老人の後姿は(それが何と押絵の老人そのままの姿であったか)簡略な柵の所で、駅員に切符を渡したかと見ると、そのまま、背後の闇の中へ溶け込む様に消えて行ったのである。
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底本:「江戸川乱歩全集 第5巻 押絵と旅する男」光文社文庫、光文社
2005(平成17)年1月20日初版1刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第三巻」平凡社
1932(昭和7)年1月
初出:「新青年」博文館
1929(昭和4)年6月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2016年1月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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【ブンゴウメール】人間椅子 (30/31)
(586字。目安の読了時間:2分)
手紙の後の方は、いっそ読まないで、破り棄てて了おうかと思ったけれど、どうやら気懸りなままに、居間の小机の上で、兎も角も、読みつづけた。
彼女の予感はやっぱり当っていた。
これはまあ、何という恐ろしい事実であろう。
彼女が毎日腰かけていた、あの肘掛椅子の中には、見も知らぬ一人の男が、入っていたのであるか。
「オオ、気味の悪い」
彼女は、背中から冷水をあびせられた様な、悪寒を覚えた。
そして、いつまでたっても、不思議な身震いがやまなかった。
彼女は、あまりのことに、ボンヤリして了って、これをどう処置すべきか、まるで見当がつかぬのであった。
椅子を調べて見る(?)どうしてどうして、そんな気味の悪いことが出来るものか。
そこには仮令、もう人間がいなくても、食物その他の、彼に附属した汚いものが、まだ残されているに相違ないのだ。
「奥様、お手紙でございます」
ハッとして、振り向くと、それは、一人の女中が、今届いたらしい封書を持て来たのだった。
佳子は、無意識にそれを受取って、開封しようとしたが、ふと、その上書を見ると、彼女は、思わずその手紙を取りおとした程も、ひどい驚きに打たれた。
そこには、さっきの無気味な手紙と寸分違わぬ筆癖をもって、彼女の名宛が書かれてあったのだ。
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【ブンゴウメール】押絵と旅する男 (30/31)
(653字。目安の読了時間:2分)
二人は本当の新婚者の様に、恥かし相に顔を赤らめながら、お互の肌と肌とを触れ合って、さもむつまじく、尽きぬ睦言を語り合ったものでございますよ。
その後、父は東京の商売をたたみ、富山近くの故郷へ引込みましたので、それにつれて、私もずっとそこに住んで居りますが、あれからもう三十年の余になりますので、久々で兄にも変った東京が見せてやり度いと思いましてね、こうして兄と一緒に旅をしている訳でございますよ。
ところが、あなた、悲しいことには、娘の方は、いくら生きているとは云え、元々人の拵えたものですから、年をとるということがありませんけれど、兄の方は、押絵になっても、それは無理やりに形を変えたまでで、根が寿命のある人間のことですから、私達と同じ様に年をとって参ります。御覧下さいまし、二十五歳の美少年であった兄が、もうあの様に白髪になって、顔には醜い皺が寄ってしまいました。兄の身にとっては、どんなにか悲しいことでございましょう。相手の娘はいつまでも若くて美しいのに、自分ばかりが汚く老込んで行くのですもの。恐ろしいことです。兄は悲しげな顔をして居ります。数年以前から、いつもあんな苦し相な顔をして居ります。それを思うと、私は兄が気の毒で仕様がないのでございますよ」
老人は暗然として押絵の中の老人を見やっていたが、やがて、ふと気がついた様に、
「アア、飛んだ長話を致しました。併し、あなたは分って下さいましたでしょうね。外の人達の様に、私を気違いだとはおっしゃいませんでしょうね。
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【ブンゴウメール】人間椅子 (29/31)
(575字。目安の読了時間:2分)
私は決してそれ以上を望むものではありません。
そんなことを望むには、余りに醜く、汚れ果てた私でございます。
どうぞどうぞ、世にも不幸な男の、切なる願いを御聞き届け下さいませ。
私は昨夜、この手紙を書く為に、お邸を抜け出しました。
面と向って、奥様にこんなことをお願いするのは、非常に危険でもあり、且つ私には迚も出来ないことでございます。
そして、今、あなたがこの手紙をお読みなさる時分には、私は心配の為に青い顔をして、お邸のまわりを、うろつき廻って居ります。
若し、この、世にも無躾なお願いをお聞き届け下さいますなら、どうか書斎の窓の撫子の鉢植に、あなたのハンカチをおかけ下さいまし、それを合図に、私は、何気なき一人の訪問者としてお邸の玄関を訪れるでございましょう。
そして、このふしぎな手紙は、ある熱烈な祈りの言葉を以て結ばれていた。
佳子は、手紙の半程まで読んだ時、已(すで)に恐しい予感の為に、まっ青になって了った。
そして、無意識に立上ると、気味悪い肘掛椅子の置かれた書斎から逃げ出して、日本建ての居間の方へ来ていた。
手紙の後の方は、いっそ読まないで、破り棄てて了おうかと思ったけれど、どうやら気懸りなままに、居間の小机の上で、兎も角も、読みつづけた。
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【ブンゴウメール】押絵と旅する男 (29/31)
(703字。目安の読了時間:2分)
私はその絵をどんなに高くてもよいから、必ず私に譲ってくれと、覗き屋に固い約束をして、(妙なことに、小姓の吉三の代りに洋服姿の兄が坐っているのを、覗き屋は少しも気がつかない様子でした)家へ飛んで帰って、一伍一什を母に告げました所、父も母も、何を云うのだ。お前は気でも違ったのじゃないかと申して、何と云っても取上げてくれません。おかしいじゃありませんか。ハハハハハハ」老人は、そこで、さもさも滑稽だと云わぬばかりに笑い出した。
そして、変なことには、私も亦(また)、老人に同感して、一緒になって、ゲラゲラと笑ったのである。
「あの人たちは、人間は押絵なんぞになるものじゃないと思い込んでいたのですよ。でも押絵になった証拠には、その後兄の姿が、ふっつりと、この世から見えなくなってしまったじゃありませんか。それをも、あの人たちは、家出したのだなんぞと、まるで見当違いな当て推量をしているのですよ。おかしいですね。結局、私は何と云われても構わず、母にお金をねだって、とうとうその覗き絵を手に入れ、それを持って、箱根から鎌倉の方へ旅をしました。それはね、兄に新婚旅行がさせてやりたかったからですよ。こうして汽車に乗って居りますと、その時のことを思い出してなりません。やっぱり、今日の様に、この絵を窓に立てかけて、兄や兄の恋人に、外の景色を見せてやったのですからね。兄はどんなにか仕合せでございましたろう。娘の方でも、兄のこれ程の真心を、どうしていやに思いましょう。二人は本当の新婚者の様に、恥かし相に顔を赤らめながら、お互の肌と肌とを触れ合って、さもむつまじく、尽きぬ睦言を語り合ったものでございますよ。
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【ブンゴウメール】人間椅子 (28/31)
(543字。目安の読了時間:2分)
彼女は、丁度嬰児が母親の懐に抱かれる時の様な、又は、処女が恋人の抱擁に応じる時の様な、甘い優しさを以て私の椅子に身を沈めます。
そして、私の膝の上で、身体を動かす様子までが、さも懐しげに見えるのでございます。
かようにして、私の情熱は、日々に烈しく燃えて行くのでした。
そして、遂には、ああ奥様、遂には、私は、身の程もわきまえぬ、大それた願いを抱く様になったのでございます。
たった一目、私の恋人の顔を見て、そして、言葉を交すことが出来たなら、其(その)まま死んでもいいとまで、私は、思いつめたのでございます。
奥様、あなたは、無論、とっくに御悟りでございましょう。
その私の恋人と申しますのは、余りの失礼をお許し下さいませ。
実は、あなたなのでございます。
あなたの御主人が、あのY市の道具店で、私の椅子を御買取りになって以来、私はあなたに及ばぬ恋をささげていた、哀れな男でございます。
奥様、一生の御願いでございます。
たった一度、私にお逢い下さる訳には行かぬでございましょうか。
そして、一言でも、この哀れな醜い男に、慰めのお言葉をおかけ下さる訳には行かぬでございましょうか。
私は決してそれ以上を望むものではありません。
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【ブンゴウメール】押絵と旅する男 (28/31)
(680字。目安の読了時間:2分)
なんと、あなた、こうして私の兄は、それっきり、この世から姿を消してしまったのでございますよ……それ以来というもの、私は一層遠眼鏡という魔性の器械を恐れる様になりました。殊にも、このどこの国の船長とも分らぬ、異人の持物であった遠眼鏡が、特別いやでして、外の眼鏡は知らず、この眼鏡丈けは、どんなことがあっても、さかさに見てはならぬ。さかさに覗けば凶事が起ると、固く信じているのでございます。あなたがさっき、これをさかさにお持ちなすった時、私が慌ててお止め申した訳がお分りでございましょう。
ところが、長い間探し疲れて、元の覗き屋の前へ戻って参った時でした。私はハタとある事に気がついたのです。と申すのは、兄は押絵の娘に恋こがれた余り、魔性の遠眼鏡の力を借りて、自分の身体を押絵の娘と同じ位の大きさに縮めて、ソッと押絵の世界へ忍び込んだのではあるまいかということでした。そこで、私はまだ店をかたづけないでいた覗き屋に頼みまして、吉祥寺の場を見せて貰いましたが、なんとあなた、案の定、兄は押絵になって、カンテラの光りの中で、吉三の代りに、嬉し相な顔をして、お七を抱きしめていたではありませんか。
でもね、私は悲しいとは思いませんで、そうして本望を達した、兄の仕合せが、涙の出る程嬉しかったものですよ。私はその絵をどんなに高くてもよいから、必ず私に譲ってくれと、覗き屋に固い約束をして、(妙なことに、小姓の吉三の代りに洋服姿の兄が坐っているのを、覗き屋は少しも気がつかない様子でした)家へ飛んで帰って、一伍一什を母に告げました所、父も母も、何を云うのだ。
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