武蔵野(8/30) - ブンゴウメール
ブンゴウメール
(638字。目安の読了時間:2分)
…りおり日の光りが今ま雨に濡れたばかりの細枝の繁みを漏れて滑りながらに脱けてくるのをあびては、キラキラときらめいた」
すなわちこれはツルゲーネフの書きたるものを二葉亭が訳して「あいびき」と題した短編の冒頭にある一節であって、自分がかかる落葉林の趣きを解するに至ったのはこの微妙な叙景の筆の力が多い。
これはロシアの景でしかも林は樺の木で、武蔵野の林は楢の木、植物帯からいうとはなはだ異なっているが落葉林の趣は同じことである。
自分はしばしば思うた、もし武蔵野の林が楢の類いでなく、松か何かであったらきわめて平凡な変化に乏しい色彩いちようなものとなってさまで珍重するに足らないだろうと。
楢の類いだから黄葉する。
黄葉するから落葉する。
時雨が私語く。
凩が叫ぶ。
一陣の風小高い丘を襲えば、幾千万の木の葉高く大空に舞うて、小鳥の群かのごとく遠く飛び去る。
木の葉落ちつくせば、数十里の方域にわたる林が一時に裸体になって、蒼ずんだ冬の空が高くこの上に垂れ、武蔵野一面が一種の沈静に入る。
空気がいちだん澄みわたる。
遠い物音が鮮かに聞こえる。
自分は十月二十六日の記に、林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視し、黙想すと書いた。
「あいびき」にも、自分は座して、四顧して、そして耳を傾けたとある。
この耳を傾けて聞くということがどんなに秋の末から冬へかけての、今の武蔵野の心に適っているだろう。
秋ならば林のうちより起こる音、冬ならば林のかなた遠く響く音。
鳥の羽音、囀る声。
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