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2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

外科室(29/29)

(273字。目安の読了時間:1分) 園を出ずれば丈高く肥えたる馬二頭立ちて、磨りガラス入りたる馬車に、三個の馬丁休らいたりき。その後九年を経て病院のかのことありしまで、高峰はかの婦人のことにつきて、予にすら一言をも語らざりしかど、年齢においても…

外科室(28/29)

(367字。目安の読了時間:1分) 源吉とやら、みずからは、とあの姫様が、言いそうもないからね」「罰があたらあ、あてこともない」「でも、あなたやあ、ときたらどうする」「正直なところ、わっしは遁(に)げるよ」「足下もか」「え、君は」「私も遁げるよ…

外科室(27/29)

(370字。目安の読了時間:1分) 女の新造に違いはないが、今拝んだのと較べて、どうだい。まるでもって、くすぶって、なんといっていいか汚れ切っていらあ。あれでもおんなじ女だっさ、へん、聞いて呆(あき)れらい」「おやおや、どうした大変なことを謂い…

外科室(26/29)

(308字。目安の読了時間:1分) ところが、なんのこたあない。肌守りを懸けて、夜中に土堤を通ろうじゃあないか。罰のあたらないのが不思議さね。もうもう今日という今日は発心切った。あの醜婦どもどうするものか。見なさい、アレアレちらほらとこうそこい…

外科室(25/29)

(338字。目安の読了時間:1分) 足下のようでもないじゃないか」「眩(まばゆ)くってうなだれたね、おのずと天窓が上がらなかった」「そこで帯から下へ目をつけたろう」「ばかをいわっし、もったいない。見しやそれとも分かぬ間だったよ。ああ残り惜しい」…

外科室(24/29)

(321字。目安の読了時間:1分) …じゃなし、丸髷でも、束髪でも、ないししゃぐまでもなんでもいい」「ところでと、あのふうじゃあ、ぜひ、高島田とくるところを、銀杏と出たなあどういう気だろう」「銀杏、合点がいかぬかい」「ええ、わりい洒落だ」「なん…

外科室(23/29)

(471字。目安の読了時間:1分) 中なる三人の婦人等は、一様に深張りの涼傘を指し翳(かざ)して、裾捌きの音いとさやかに、するすると練り来たれる、と行き違いざま高峰は、思わず後を見返りたり。「見たか」 高峰は頷(うなず)きぬ。「むむ」 かくて丘に…

外科室(22/29)

(311字。目安の読了時間:1分) 一日予は渠(かれ)とともに、小石川なる植物園に散策しつ。五月五日躑躅(つつじ)の花盛んなりし。渠とともに手を携え、芳草の間を出つ、入りつ、園内の公園なる池を繞(めぐ)りて、咲き揃(そろ)いたる藤を見つ。 歩を…

外科室(21/29)

(288字。目安の読了時間:1分) 謂うとき晩し、高峰が手にせるメスに片手を添えて、乳の下深く掻き切りぬ。医学士は真蒼になりて戦きつつ、「忘れません」 その声、その呼吸、その姿、その声、その呼吸、その姿。伯爵夫人はうれしげに、いとあどけなき微笑…

外科室(20/29)

(427字。目安の読了時間:1分) …こに及べるまで、医学士の挙動脱兎のごとく神速にしていささか間なく、伯爵夫人の胸を割くや、一同はもとよりかの医博士に到るまで、言を挟むべき寸隙とてもなかりしなるが、ここにおいてか、わななくあり、面を蔽うあり、…

外科室(19/29)

(322字。目安の読了時間:1分) 「どうぞ」と一言答えたる、夫人が蒼白なる両の頬(ほお)に刷けるがごとき紅を潮しつ。じっと高峰を見詰めたるまま、胸に臨めるナイフにも眼を塞がんとはなさざりき。 と見れば雪の寒紅梅、血汐は胸よりつと流れて、さと白…

外科室(18/29)

(318字。目安の読了時間:1分) 医学士は取るとそのまま、靴音軽く歩を移してつと手術台に近接せり。 看護婦はおどおどしながら、「先生、このままでいいんですか」「ああ、いいだろう」「じゃあ、お押え申しましょう」 医学士はちょっと手を挙げて、軽く押…

外科室(17/29)

(286字。目安の読了時間:1分) 切ってもいい」 決然として言い放てる、辞色ともに動かすべからず。さすが高位の御身とて、威厳あたりを払うにぞ、満堂斉しく声を呑(の)み、高き咳(しわぶき)をも漏らさずして、寂然たりしその瞬間、先刻よりちとの身動…

外科室(16/29)

(322字。目安の読了時間:1分) 単に、医師の命をだに奉ずればよし、あえて他の感情を顧みることを要せざるなり。「綾! 来ておくれ。あれ!」 と夫人は絶え入る呼吸にて、腰元を呼びたまえば、慌てて看護婦を遮りて、「まあ、ちょっと待ってください。夫人…

外科室(15/29)

(330字。目安の読了時間:1分) でもちっともかまいません」「あんまり大病なんで、どうかしおったと思われる」 と伯爵は愁然たり。侯爵は、かたわらより、「ともかく、今日はまあ見合わすとしたらどうじゃの。あとでゆっくりと謂い聞かすがよかろう」 伯爵…

外科室(14/29)

(366字。目安の読了時間:1分) 「それは夫人、いくらなんでもちっとはお痛みあそばしましょうから、爪をお取りあそばすとは違いますよ」 夫人はここにおいてぱっちりと眼を※(みは)けり。気もたしかになりけん、声は凛(りん)として、「刀を取る先生は、…

外科室(13/29)

(306字。目安の読了時間:1分) 「何を、姫を連れて来い」 夫人は堪らず遮りて、「綾、連れて来んでもいい。なぜ、眠らなけりゃ、療治はできないか」 看護婦は窮したる微笑を含みて、「お胸を少し切りますので、お動きあそばしちゃあ、危険でございます」「…

外科室(12/29)

(362字。目安の読了時間:1分) …という、極まったこともなさそうじゃの」「いいえ、このくらい思っていれば、きっと謂いますに違いありません」「そんな、また、無理を謂う」「もう、御免くださいまし」 投げ棄つるがごとくかく謂いつつ、伯爵夫人は寝返り…

外科室(11/29)

(384字。目安の読了時間:1分) この言をしてもし平生にあらしめば必ず一条の紛紜を惹(ひ)き起こすに相違なきも、病者に対して看護の地位に立てる者はなんらのこともこれを不問に帰せざるべからず。しかもわが口よりして、あからさまに秘密ありて人に聞か…

外科室(10/29)

(341字。目安の読了時間:1分) うとうとあそばすと、すぐ済んでしまいます」 このとき夫人の眉は動き、口は曲みて、瞬間苦痛に堪えざるごとくなりし。半ば目を※(みは)きて、「そんなに強いるなら仕方がない。私はね、心に一つ秘密がある。痲酔剤は譫言を…

外科室(9/29)

(303字。目安の読了時間:1分) 伯爵は前に進み、「奥、そんな無理を謂ってはいけません。できなくってもいいということがあるものか。わがままを謂ってはなりません」 侯爵はまたかたわらより口を挟めり。「あまり、無理をお謂やったら、姫を連れて来て見…

外科室(8/29)

(306字。目安の読了時間:1分) 腰元は恐る恐る繰り返して、「お聞き済みでございましょうか」「ああ」とばかり答えたまう。 念を推して、「それではよろしゅうございますね」「何かい、痲酔剤をかい」「はい、手術の済みますまで、ちょっとの間でございま…

外科室(7/29)

(312字。目安の読了時間:1分) その顔色はいかにしけん、にわかに少しく変わりたり。 さてはいかなる医学士も、驚破という場合に望みては、さすがに懸念のなからんやと、予は同情を表したりき。 看護婦は医学士の旨を領してのち、かの腰元に立ち向かいて、…

外科室(6/29)

(327字。目安の読了時間:1分) そのいたく落ち着きたる、これを頼もしと謂(い)わば謂え、伯爵夫人の爾(しか)き容体を見たる予が眼よりはむしろ心憎きばかりなりしなり。 おりからしとやかに戸を排して、静かにここに入り来たれるは、先刻に廊下にて行…

外科室(5/29)

(303字。目安の読了時間:1分) 脣(くちびる)の色少しく褪(あ)せたるに、玉のごとき前歯かすかに見え、眼は固く閉ざしたるが、眉は思いなしか顰(ひそ)みて見られつ。わずかに束ねたる頭髪は、ふさふさと枕に乱れて、台の上にこぼれたり。 そのかよわ…

外科室(4/29)

(387字。目安の読了時間:1分) 看護婦その者にして、胸に勲章帯びたるも見受けたるが、あるやんごとなきあたりより特に下したまえるもありぞと思わる。他に女性とてはあらざりし。なにがし公と、なにがし侯と、なにがし伯と、みな立ち会いの親族なり。しか…

外科室(3/29)

(391字。目安の読了時間:1分) 渠らのある者は沈痛に、ある者は憂慮わしげに、はたある者はあわただしげに、いずれも顔色穏やかならで、忙しげなる小刻みの靴の音、草履の響き、一種寂寞たる病院の高き天井と、広き建具と、長き廊下との間にて、異様の跫音…

外科室(2/29)

(318字。目安の読了時間:1分) …これのみならず玄関より外科室、外科室より二階なる病室に通うあいだの長き廊下には、フロックコート着たる紳士、制服着けたる武官、あるいは羽織袴(はかま)の扮装の人物、その他、貴婦人令嬢等いずれもただならず気高き…

外科室(1/29)

(427字。目安の読了時間:1分) 上 実は好奇心のゆえに、しかれども予は予が画師たるを利器として、ともかくも口実を設けつつ、予と兄弟もただならざる医学士高峰をしいて、某の日東京府下の一病院において、渠(かれ)が刀を下すべき、貴船伯爵夫人の手術…