二銭銅貨(1/30)
(653字。目安の読了時間:2分)
上
「あの泥坊が羨しい」二人の間にこんな言葉が交される程、其頃は窮迫していた。
場末の貧弱な下駄屋の二階の、ただ一間しかない六畳に、一閑張りの破れ机を二つ並べて、松村武とこの私とが、変な空想ばかり逞(たくま)しゅうして、ゴロゴロしていた頃のお話である。
もう何もかも行詰って了って、動きの取れなかった二人は、丁度その頃世間を騒がせた大泥坊の、巧みなやり口を羨む様な、さもしい心持になっていた。
その泥坊事件というのが、このお話の本筋に大関係を持っているので、茲(ここ)にザッとそれをお話して置くことにする。
芝区のさる大きな電気工場の職工給料日当日の出来事であった。
十数名の賃銀計算係が、一万に近い職工のタイム・カードから、夫々一ヶ月の賃銀を計算して、山と積まれた給料袋の中へ、当日銀行から引出された、一番の支那鞄に一杯もあろうという、二十円、十円、五円などの紙幣を汗だくになって詰込んでいる最中に、事務所の玄関へ一人の紳士が訪れた。
受付の女が来意を尋ねると、私は朝日新聞の記者であるが、支配人に一寸お眼にかかり度いという。
そこで女が、東京朝日新聞社会部記者と肩書のある名刺を持って、支配人にこの事を通じた。
幸なことには、この支配人は、新聞記者操縦法がうまいことを、一つの自慢にしている男であった。
のみならず、新聞記者を相手に、法螺を吹いたり、自分の話が何々氏談などとして、新聞に載せられたりすることは、大人気ないとは思いながら、誰しも悪い気持はしないものである。
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【お知らせ】
ブンゴウメール6月の配信は、江戸川乱歩の『二銭銅貨』です。
最近は英米で横溝正史や江戸川乱歩ら日本の本格推理小説が静かなブームとなっているとのことで、そうした作品群の先駆けとも言われる乱歩のデビュー作をお送りします。
なお作品後半には一部画像も使われていたりと、どうしてもテキストメールでの再現が難しい箇所もあります。可能な限り原文の表現を損ねないよう配慮したつもりですが、気になる方はぜひ原文もご確認いただければ幸いです。
それでは、今月もどうぞお楽しみください!
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場末の貧弱な下駄屋の二階の、ただ一間しかない六畳に、一閑張りの破れ机を二つ並べて、松村武とこの私とが、変な空想ばかり逞(たくま)しゅうして、ゴロゴロしていた頃のお話である。
もう何もかも行詰って了って、動きの取れなかった二人は、丁度その頃世間を騒がせた大泥坊の、巧みなやり口を羨む様な、さもしい心持になっていた。
その泥坊事件というのが、このお話の本筋に大関係を持っているので、茲(ここ)にザッとそれをお話して置くことにする。
芝区のさる大きな電気工場の職工給料日当日の出来事であった。
十数名の賃銀計算係が、一万に近い職工のタイム・カードから、夫々一ヶ月の賃銀を計算して、山と積まれた給料袋の中へ、当日銀行から引出された、一番の支那鞄に一杯もあろうという、二十円、十円、五円などの紙幣を汗だくになって詰込んでいる最中に、事務所の玄関へ一人の紳士が訪れた。
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そこで女が、東京朝日新聞社会部記者と肩書のある名刺を持って、支配人にこの事を通じた。
幸なことには、この支配人は、新聞記者操縦法がうまいことを、一つの自慢にしている男であった。
のみならず、新聞記者を相手に、法螺を吹いたり、自分の話が何々氏談などとして、新聞に載せられたりすることは、大人気ないとは思いながら、誰しも悪い気持はしないものである。
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