【ブンゴウメール】文字禍 (1/15)
(495字。目安の読了時間:1分)
文字の霊などというものが、一体、あるものか、どうか。
アッシリヤ人は無数の精霊を知っている。
夜、闇の中を跳梁するリル、その雌のリリツ、疫病をふり撒(ま)くナムタル、死者の霊エティンム、誘拐者ラバス等、数知れぬ悪霊共がアッシリヤの空に充ち満ちている。
しかし、文字の精霊については、まだ誰も聞いたことがない。
その頃――というのは、アシュル・バニ・アパル大王の治世第二十年目の頃だが――ニネヴェの宮廷に妙な噂(うわさ)があった。
毎夜、図書館の闇の中で、ひそひそと怪しい話し声がするという。
王兄シャマシュ・シュム・ウキンの謀叛がバビロンの落城でようやく鎮まったばかりのこととて、何かまた、不逞の徒の陰謀ではないかと探ってみたが、それらしい様子もない。
どうしても何かの精霊どもの話し声に違いない。
最近に王の前で処刑されたバビロンからの俘囚共の死霊の声だろうという者もあったが、それが本当でないことは誰にも判る。
千に余るバビロンの俘囚はことごとく舌を抜いて殺され、その舌を集めたところ、小さな築山が出来たのは、誰知らぬ者のない事実である。
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【お知らせ】
今月のブンゴウメールは2本立て!月の前後半に分けて2作品をお送りします。
前半(1〜15日)は「文字禍」で、16日からの後半はまた別の作品となります。
今月もお楽しみください!
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【ブンゴウメール】断食芸人 (31/31)
(389字。目安の読了時間:1分)
あんなに長いこと荒れ果てていた檻のなかにこの野獣が跳び廻っているのをながめることは、どんなに鈍感な人間にとってもはっきり感じられる気ばらしであった。
豹には何一つ不自由なものはなかった。
豹がうまいと思う食べものは、番人たちがたいして考えずにどんどん運んでいった。
豹は自由がないことを全然残念がってはいないように見えた。
あらゆる必要なものをほとんど破裂せんばかりに身にそなえたこの高貴な身体は、自由さえも身につけて歩き廻っているように見えた。
歯なみのどこかに自由が隠れているように見えるのだった。
生きるよろこびが豹の喉もとからひどく強烈な炎熱をもって吐き出されてくるので、見物人たちがそれに耐えることは容易ではないほどだった。
だが、見物人たちはそれにじっと耐えて、檻のまわりにひしめきより、全然そこを立ち去ろうとはしなかった。
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底本:「世界文学大系58 カフカ」筑摩書房
1960(昭和35)年4月10日発行
入力:kompass
校正:青空文庫
2010年11月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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【ブンゴウメール】断食芸人 (29/31)
(472字。目安の読了時間:1分)
耳を格子にあてていた監督だけが、芸人のいうことがわかった。
「いいとも」と、監督はいって、指を額に当て、それによって断食芸人の状態を係員たちにほのめかした。
少し頭にきている、というしぐさだ。
「許してやるともさ」
「いつもおれは、みんながおれの断食に感心することを望んでいたんだ」と、断食芸人はいった。
「みんな、感心しているよ」と、監督は芸人の意を迎えるような調子でいった。
「でも、みんなは感心してはいけないんだ」と、断食芸人はいった。
「そうか、それなら感心しないよ」と、監督はいった。
「なぜ感心してはいけないんだね?」
「おれは断食しないではいられないだけの話だからだ。ほかのことはおれにはできないのだ」
「まあ、そういうなよ」と、監督はいった。
「なぜほかのことはできないのだね?」
「それはな、おれが」と、断食芸人はいって、小さな頭を少しばかりもたげ、まるで接吻するように唇をとがらして、ひとことでももれてしまわないように監督のすぐ耳もとでささやいた。
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【ブンゴウメール】断食芸人 (30/31)
(414字。目安の読了時間:1分)
「それはな、おれが」と、断食芸人はいって、小さな頭を少しばかりもたげ、まるで接吻するように唇をとがらして、ひとことでももれてしまわないように監督のすぐ耳もとでささやいた。
「うまいと思う食べものを見つけることができなかったからだ。うまいと思うものを見つけていたら、きっと、世間の評判になんかならないで、きっとあんたやほかの人たちみたいに腹いっぱい食っていたことだろうよ」
これが最後の言葉だったが、まだ彼のかすんだ眼には、おれはもっと断食しつづけるぞ、というもう誇らしげではないにしろ固い確信の色が見えた。
「それじゃあ、片づけるんだ!」と、監督はいった。
断食芸人はわらといっしょに埋められた。
例の檻には一頭の若い豹(ひょう)が入れられた。
あんなに長いこと荒れ果てていた檻のなかにこの野獣が跳び廻っているのをながめることは、どんなに鈍感な人間にとってもはっきり感じられる気ばらしであった。
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【ブンゴウメール】断食芸人 (28/31)
(412字。目安の読了時間:1分)
というのは、断食芸人はあざむいたりせず、正直に働いていたのだが、世間のほうが彼をあざむいて彼の当然もらうべき報酬を奪ってしまったのだった。
だが、それからふたたび多くの日々が流れ過ぎて、それもついに終りになった。
あるとき、この檻が一人の監督の眼にとまって、なぜこの十分使える檻を、腐ったわらをなかにいれたまま、こんなところに利用もしないでほっておくのか、と小使たちにたずねた。
だれもその理由がわからなかったが、とうとうそのうちの一人が数字板の助けによって断食芸人のことを思い出した。
人びとが棒でわらをかき廻し、そのなかに断食芸人を発見した。
「君はまだ断食をやっているのかね?」と、その監督はたずねた。
「いったい、いつになったらやめるつもりだね?」
「諸君、許してくれ」と、断食芸人はささやくような声でいった。
耳を格子にあてていた監督だけが、芸人のいうことがわかった。
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【ブンゴウメール】桜の森の満開の下
【1/30】(666字。目安の読了時間:2分)
桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。
なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩(けんか)して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。
近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。
昔、鈴鹿峠にも旅人が桜の森の花の下を通らなければならないような道になっていました。
花の咲かない頃はよろしいのですが、花の季節になると、旅人はみんな森の花の下で気が変になりました。
できるだけ早く花の下から逃げようと思って、青い木や枯れ木のある方へ一目散に走りだしたものです。
一人だとまだよいので、なぜかというと、花の下を一目散に逃げて、あたりまえの木の下へくるとホッとしてヤレヤレと思って、すむからですが、二人連は都合が悪い。
なぜなら人間の足の早さは各人各様で、一人が遅れますから、オイ待ってくれ、後から必死に叫んでも、みんな気違いで、友達をすてて走ります。
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【ブンゴウメール】断食芸人 (27/31)
(445字。目安の読了時間:1分)
やりとげた断食日数を示す数字を書いた小さな黒板は、最初のうちは念入りに毎日書きあらためられていたのだったが、もうずっと前からいつでも同じものになっていた。
というのは、最初の一週間が過ぎると係員自身がこのつまらぬ仕事にあきてしまった。
そこで、断食芸人は以前夢見たように断食をつづけていき、苦もなくあの当時に予言したようにそれをうまくやりとげることができはしたのだが、だれも日数を数える者がなく、だれ一人として、また断食芸人自身も、もうどのくらいの成績を上げたものか、わからなかった。
そこで、彼の心はいよいよ重くなっていった。
そのころにいつかひまな人間が立ちどまり、古ぼけた数字をからかい、インチキ師というようなことをいったが、それはこういう意味ではたしかに、冷淡さと生まれつきの性悪さとが発見するもっとも愚かしいいつわりであった。
というのは、断食芸人はあざむいたりせず、正直に働いていたのだが、世間のほうが彼をあざむいて彼の当然もらうべき報酬を奪ってしまったのだった。
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