ブンゴウメール公式ブログ

青空文庫の作品を1ヶ月で読めるように毎日小分けでメール配信してくれるサービス「ブンゴウメール」のブログです

秘密(27/30)

(510字。目安の読了時間:2分)

賑やかな商店の多い小路で突きあたりに印形屋の看板の見える街、―――どう考えて見ても、私は今迄通ったことのない往来の一つに違いないと思った。
子供時代に経験したような謎の世界の感じに、再び私は誘われた。
「あなた、あの看板の字が読めましたか。」
「いや読めなかった。一体此処は何処なのだか私にはまるで判らない。私はお前の生活に就いては三年前の太平洋の波の上の事ばかりしか知らないのだ。私はお前に誘惑されて、何だか遠い海の向うの、幻の国へ伴れて来られたように思われる。」
私がこう答えると、女はしみじみとした悲しい声で、こんな事を云った。
「後生だからいつまでもそう云う気持で居て下さい。幻の国に住む、夢の中の女だと思って居て下さい。もう二度と再び、今夜のような我が儘を云わないで下さい。」
女の眼からは、涙が流れて居るらしかった。
その後暫く、私は、あの晩女に見せられた不思議な街の光景を忘れることが出来なかった。
燈火のかんかんともっている賑やかな狭い小路の突き当りに見えた印形屋の看板が、頭にはッきりと印象されて居た。
何とかして、あの町の在りかを捜し出そうと苦心した揚句、私は漸く一策を案じ出した。

=========================
ハッシュタグ「#ブンゴウメール」をつけて感想をつぶやこう! 
https://bit.ly/34Mrpyn

■Twitterでみんなの感想を見る:https://goo.gl/rgfoDv
■ブンゴウメール公式サイト:https://bungomail.com
■青空文庫でこの作品を読む:https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/57349_60032.html
■運営へのご支援はこちら: https://www.buymeacoffee.com/bungomail
■月末まで一時的に配信を停止: https://forms.gle/d2gZZBtbeAEdXySW9

-------
配信元: ブンゴウメール編集部
NOT SO BAD, LLC.
Web: https://bungomail.com
配信停止:https://goo.gl/forms/kVz3fE9HdDq5iuA03

秘密(26/30)

(576字。目安の読了時間:2分)

「そうなれば、あたしはもう『夢の中の女』ではありません。あなたは私を恋して居るよりも、夢の中の女を恋して居るのですもの。」
いろいろに言葉を尽して頼んだが、私は何と云っても聴き入れなかった。
「仕方がない、そんなら見せて上げましょう。………その代り一寸ですよ。」
女は嘆息するように云って、力なく眼かくしの布を取りながら、
「此処が何処だか判りますか。」
と、心許ない顔つきをした。
美しく晴れ渡った空の地色は、妙に黒ずんで星が一面にきらきらと輝き、白い霞(かすみ)のような天の川が果てから果てへ流れている。
狭い道路の両側には商店が軒を並べて、燈火の光が賑やかに町を照らしていた。
不思議な事には、可なり繁華な通りであるらしいのに、私はそれが何処の街であるか、さっぱり見当が附かなかった。
俥はどんどんその通りを走って、やがて一二町先の突き当りの正面に、精美堂と大きく書いた印形屋の看板が見え出した。
私が看板の横に書いてある細い文字の町名番地を、俥の上で遠くから覗(のぞ)き込むようにすると、女は忽(たちま)ち気が附いたか、
「あれッ」
と云って、再び私の眼を塞いで了った。


賑やかな商店の多い小路で突きあたりに印形屋の看板の見える街、―――どう考えて見ても、私は今迄通ったことのない往来の一つに違いないと思った。

=========================
ハッシュタグ「#ブンゴウメール」をつけて感想をつぶやこう! 
https://bit.ly/34Mrpyn

■Twitterでみんなの感想を見る:https://goo.gl/rgfoDv
■ブンゴウメール公式サイト:https://bungomail.com
■青空文庫でこの作品を読む:https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/57349_60032.html
■運営へのご支援はこちら: https://www.buymeacoffee.com/bungomail
■月末まで一時的に配信を停止: https://forms.gle/d2gZZBtbeAEdXySW9

-------
配信元: ブンゴウメール編集部
NOT SO BAD, LLC.
Web: https://bungomail.com
配信停止:https://goo.gl/forms/kVz3fE9HdDq5iuA03

秘密(25/30)

(625字。目安の読了時間:2分)

「夢の中の女」「秘密の女」朦朧(もうろう)とした、現実とも幻覚とも区別の附かない Love adventure の面白さに、私はそれから毎晩のように女の許に通い、夜半の二時頃迄遊んでは、また眼かくしをして、雷門まで送り返された。
一と月も二た月も、お互に所を知らず、名を知らずに会見していた。
女の境遇や住宅を捜り出そうと云う気は少しもなかったが、だんだん時日が立つに従い、私は妙な好奇心から、自分を乗せた俥が果して東京の何方の方面に二人を運んで行くのか、自分の今眼を塞がれて通って居る処は、浅草から何の辺に方って居るのか、唯それだけを是非とも知って見たくなった。
三十分も一時間も、時とすると一時間半もがらがらと市街を走ってから、轅を下ろす女の家は、案外雷門の近くにあるのかも知れない。
私は毎夜俥に揺す振られながら、此処か彼処かと心の中に憶測を廻(めぐ)らす事を禁じ得なかった。
或(あ)る晩、私はとうとうたまらなくなって、
「一寸でも好いから、この眼かくしを取ってくれ。」
と俥の上で女にせがんだ。
「いけません、いけません。」
と、女は慌てて、私の両手をしッかり抑えて、その上へ顔を押しあてた。
「何卒そんな我が儘を云わないで下さい。此処の往来はあたしの秘密です。この秘密を知られればあたしはあなたに捨てられるかも知れません。」
「どうして私に捨てられるのだ。」

「そうなれば、あたしはもう『夢の中の女』ではありません。

=========================
ハッシュタグ「#ブンゴウメール」をつけて感想をつぶやこう! 
https://bit.ly/34Mrpyn

■Twitterでみんなの感想を見る:https://goo.gl/rgfoDv
■ブンゴウメール公式サイト:https://bungomail.com
■青空文庫でこの作品を読む:https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/57349_60032.html
■運営へのご支援はこちら: https://www.buymeacoffee.com/bungomail
■月末まで一時的に配信を停止: https://forms.gle/d2gZZBtbeAEdXySW9

-------
配信元: ブンゴウメール編集部
NOT SO BAD, LLC.
Web: https://bungomail.com
配信停止:https://goo.gl/forms/kVz3fE9HdDq5iuA03

秘密(24/30)

(600字。目安の読了時間:2分)

襟のかかった渋い縞(しま)お召に腹合わせ帯をしめて、銀杏返しに結って居る風情の、昨夜と恐ろしく趣が変っているのに、私は先ず驚かされた。
「あなたは、今夜あたしがこんな風をして居るのは可笑しいと思っていらッしゃるんでしょう。それでも人に身分を知らせないようにするには、こうやって毎日身なりを換えるより外に仕方がありませんからね。」
卓上に伏せてある洋盃を起して、葡萄酒を注ぎながら、こんな事を云う女の素振りは、思ったよりもしとやかに打ち萎れて居た。
「でも好く覚えて居て下さいましたね。上海でお別れしてから、いろいろの男と苦労もして見ましたが、妙にあなたの事を忘れることが出来ませんでした。もう今度こそは私を棄てないで下さいまし。身分も境遇も判らない、夢のような女だと思って、いつまでもお附き合いなすって下さい。」
女の語る一言一句が、遠い国の歌のしらべのように、哀韻を含んで私の胸に響いた。
昨夜のような派手な勝ち気な悧発な女が、どうしてこう云う憂鬱な、殊勝な姿を見せることが出来るのであろう。
さながら万事を打ち捨てて、私の前に魂を投げ出しているようであった。
「夢の中の女」「秘密の女」朦朧(もうろう)とした、現実とも幻覚とも区別の附かない Love adventure の面白さに、私はそれから毎晩のように女の許に通い、夜半の二時頃迄遊んでは、また眼かくしをして、雷門まで送り返された。

=========================
ハッシュタグ「#ブンゴウメール」をつけて感想をつぶやこう! 
https://bit.ly/34Mrpyn

■Twitterでみんなの感想を見る:https://goo.gl/rgfoDv
■ブンゴウメール公式サイト:https://bungomail.com
■青空文庫でこの作品を読む:https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/57349_60032.html
■運営へのご支援はこちら: https://www.buymeacoffee.com/bungomail
■月末まで一時的に配信を停止: https://forms.gle/d2gZZBtbeAEdXySW9

-------
配信元: ブンゴウメール編集部
NOT SO BAD, LLC.
Web: https://bungomail.com
配信停止:https://goo.gl/forms/kVz3fE9HdDq5iuA03

秘密(23/30)

(526字。目安の読了時間:2分)

再びざらざらした男の手が私を導きながら狭そうな路次を二三間行くと、裏木戸のようなものをギーと開けて家の中へ連れて行った。
眼を塞がれながら一人座敷に取り残されて、暫く座っていると、間もなく襖(ふすま)の開く音がした。
女は無言の儘(まま)、人魚のように体を崩して擦り寄りつつ、私の膝の上へ仰向きに上半身を靠(もた)せかけて、そうして両腕を私の項に廻して羽二重の結び目をはらりと解いた。
部屋は八畳位もあろう。
普請と云い、装飾と云い、なかなか立派で、木柄なども選んではあるが、丁度この女の身分が分らぬと同様に、待合とも、妾宅とも、上流の堅気な住まいとも見極めがつかない。
一方の縁側の外にはこんもりとした植え込みがあって、その向うは板塀に囲われている。
唯これだけの眼界では、この家が東京のどの辺にあたるのか、大凡その見当すら判らなかった。
「よく来て下さいましたね。」
こう云いながら、女は座敷の中央の四角な紫檀の机へ身を靠せかけて、白い両腕を二匹の生き物のように、だらりと卓上に匍(は)わせた。
襟のかかった渋い縞(しま)お召に腹合わせ帯をしめて、銀杏返しに結って居る風情の、昨夜と恐ろしく趣が変っているのに、私は先ず驚かされた。

=========================
【書籍コラボのお知らせ】
ブンゴウメール書籍コラボのお知らせです。
KADOKAWAより出版されている書籍『文豪どうかしてる逸話集』とコラボし、10月・11月は月初にその月の文豪のどうかしてる逸話をご紹介します!

▼ 進士素丸『文豪どうかしてる逸話集』
https://amazon.co.jp/dp/4046044519

> 素晴らしい作品を生む人間が必ずしも素晴らしい人間とは限らないし、またそうある必要もない。
> 読んだらもっと好きになる、文豪たちのかわいくて、おかしくて、“どうかしてる”エピソードを、一挙ご紹介します。

ということで、こうしたエピソードを通して文豪と作品に興味を持つきっかけにしていただければ幸いです。
まずは10月1日配信分にエピソードが掲載されますので、お楽しみに!

=========================
ハッシュタグ「#ブンゴウメール」をつけて感想をつぶやこう! 
https://bit.ly/34Mrpyn

■Twitterでみんなの感想を見る: https://goo.gl/rgfoDv
■ブンゴウメール公式サイト:https://bungomail.com
■青空文庫でこの作品を読む:https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/57349_60032.html
■運営へのご支援はこちら: https://www.buymeacoffee.com/bungomail
■月末まで一時的に配信を停止: https://forms.gle/d2gZZBtbeAEdXySW9

-------
配信元: ブンゴウメール編集部
NOT SO BAD, LLC.
Web: https://bungomail.com
配信停止:https://goo.gl/forms/kVz3fE9HdDq5iuA03

秘密(22/30)

(576字。目安の読了時間:2分)

しめっぽい匂いのする幌(ほろ)の上へ、ぱらぱらと雨の注ぐ音がする。
疑いもなく私の隣りには女が一人乗って居る。
お白粉の薫りと暖かい体温が、幌の名へ蒸すように罩(こも)っていた。
轅(かじ)を上げた俥は、方向を晦(くら)ます為めに一つ所をくるくると二三度廻って走り出したが、右へ曲り、左へ折れ、どうかすると Labyrinth の中をうろついて居るようであった。
時々電車通りへ出たり、小さな橋を渡ったりした。
長い間、そうして俥に揺られて居た。
隣りに並んでいる女は勿論T女であろうが、黙って身じろぎもせずに腰かけている。
多分私の眼隠しが厳格に守られるか否かを監督する為めに同乗して居るものらしい。
しかし、私は他人の監督がなくても、決してこの眼かくしを取り外す気はなかった。
海の上で知り合いになった夢のような女、大雨の晩の幌の中、夜の都会の秘密、盲目、沈黙―――凡べての物が一つになって、渾然たるミステリーの靄(もや)の裡(うち)に私を投げ込んで了って居る。
やがて女は固く結んだ私の唇を分けて、口の中へ巻煙草を挿し込んだ。
そうしてマッチを擦って火をつけてくれた。
一時間程経って、漸く俥は停った。
再びざらざらした男の手が私を導きながら狭そうな路次を二三間行くと、裏木戸のようなものをギーと開けて家の中へ連れて行った。

=========================
ハッシュタグ「#ブンゴウメール」をつけて感想をつぶやこう! 
https://bit.ly/34Mrpyn

■Twitterでみんなの感想を見る:https://goo.gl/rgfoDv
■ブンゴウメール公式サイト:https://bungomail.com
■青空文庫でこの作品を読む:https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/57349_60032.html
■運営へのご支援はこちら: https://www.buymeacoffee.com/bungomail
■月末まで一時的に配信を停止: https://forms.gle/d2gZZBtbeAEdXySW9

-------
配信元: ブンゴウメール編集部
NOT SO BAD, LLC.
Web: https://bungomail.com
配信停止:https://goo.gl/forms/kVz3fE9HdDq5iuA03

秘密(21/30)

(617字。目安の読了時間:2分)

夥(おびただ)しい雨量が、天からざあざあと直瀉する喧囂(けんごう)の中に、何もかも打ち消されて、ふだん賑(にぎ)やかな広小路の通りも大概雨戸を締め切り、二三人の臀端折りの男が、敗走した兵士のように駈(か)け出して行く。
電車が時々レールの上に溜(た)まった水をほとばしらせて通る外は、ところどころの電柱や広告のあかりが、朦朧たる雨の空中をぼんやり照らしているばかりであった。
外套から、手首から、肘の辺まで水だらけになって、漸く雷門へ来た私は、雨中にしょんぼり立ち止りながらアーク燈の光を透かして、四辺を見廻したが、一つも人影は見えない。
何処かの暗い隅に隠れて、何者かが私の様子を窺っているのかも知れない。
こう思って暫く彳(たたず)んで居ると、やがて吾妻橋の方の暗闇から、赤い提灯の火が一つ動き出して、がらがらがらと街鉄の鋪(し)き石の上を駛走して来た旧式な相乗りの俥(くるま)がぴたりと私の前で止まった。
「旦那、お乗んなすって下さい。」
深い饅頭笠に雨合羽を着た車夫の声が、車軸を流す雨の響きの中に消えたかと思うと、男はいきなり私の後へ廻って、羽二重の布を素早く私の両眼の上へ二た廻り程巻きつけて、蟀谷の皮がよじれる程強く緊め上げた。
「さあ、お召しなさい。」
こう云って男のざらざらした手が、私を掴んで、惶(あわただ)しく俥の上へ乗せた。
しめっぽい匂いのする幌(ほろ)の上へ、ぱらぱらと雨の注ぐ音がする。

=========================
ハッシュタグ「#ブンゴウメール」をつけて感想をつぶやこう! 
https://bit.ly/34Mrpyn

■Twitterでみんなの感想を見る:https://goo.gl/rgfoDv
■ブンゴウメール公式サイト:https://bungomail.com
■青空文庫でこの作品を読む:https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/57349_60032.html
■運営へのご支援はこちら: https://www.buymeacoffee.com/bungomail
■月末まで一時的に配信を停止: https://forms.gle/d2gZZBtbeAEdXySW9

-------
配信元: ブンゴウメール編集部
NOT SO BAD, LLC.
Web: https://bungomail.com
配信停止:https://goo.gl/forms/kVz3fE9HdDq5iuA03