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犬を連れた奥さん(16/30) - ブンゴウメール

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(841字。目安の読了時間:2分)

…ァの人間だったので、その彼が上天気の凍てのぴりぴりする日にモスクヴァへ舞い戻って来て、毛皮の外套を着込み温かい手袋をはめて*ペトローフカ通りをひとわたりぶらついたり、土曜日の夕ぐれ鐘の音を耳にしたりするが早いか、最近の旅行のことも、行って見た土地土地のことも、すっかり彼には魅力がなくなってしまった。

だんだん彼はモスクヴァ生活につかり込んで、今ではもう日に三種もの新聞をがつがつ読むくせに、いや私はモスクヴァの新聞は読まん主義でして、と涼しい顔をするのだった。

そのうちに料理屋やクラブが恋しくなる、ごちそうや祝宴に招ばれるのが待ち遠しくなる。

やがてはわが家へ有名な弁護士や役者の出入りのあることや、医師クラブで教授連を相手にカルタを闘わしたりするのが、内心すこぶる得意になる。

果てはもう肉の寄せ鍋を一人前きれいに平らげられるまでになった。

……

 せいぜいひと月もすれば、アンナ・セルゲーヴナの面影は記憶の中で霧がかかって行って、今までの女たちと同様、いじらしい笑みを浮かべて時たまの夢に現われるだけになってしまうだろう――そんなふうに彼は高を括っていた。

ところがひと月の上になって、真冬が訪れても、まるでアンナ・セルゲーヴナと別れたのはつい昨日のことのように、何もかもが記憶にはっきりしていた。

そして追憶がますます強く燃えあがって行くのだった。

宵の静寂のなかで子どもたちの予習の声が書斎まで聞こえて来ても、ふと小唄を耳にしても、料理屋でオルガンの鳴るのが聞こえても、または壁炉のなかで吹雪が唸っても、たちまちもうあの波止場であったことから、山々に霧のかかっていた朝明けのことから、フェオドシヤから来た汽船のことから、接吻のことから、一切が残らず記憶によみがえって来るのだった。

彼はいつまでも部屋の中を行きつ戻りつしながら、思い出をたぐったり微笑んだりするのだったが、そのうち思い出はだんだん空想に変わって行き、過去が想像のなかで未来のことと混り合うようになった。

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