ブンゴウメール公式ブログ

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幸福への意志(22/30)

(578字。目安の読了時間:2分)――あしたの午前中は、ガレリア・ドリアにいるよ。サラチェニの模写をやっているんだがね、あの楽を奏でている天使に、僕はほれちゃったのさ。ぜひやって来てくれないか。君がこの土地へ来たのは実に嬉しいよ。お休み。」 それ…

幸福への意志(21/30)

(638字。目安の読了時間:2分)君が前に、その人から直接聞いたことのたしかめにすぎないんだ……」 そういって僕は、大勢の客がしゃべったり、手まねをしたりしているただなかで、あの夕方男爵令嬢が僕に語った言葉を、彼のために繰り返した。 彼はおもむろ…

幸福への意志(20/30)

(546字。目安の読了時間:2分) 僕が黙っているので、彼はこうつけ加えた。「五年以来だからな――とてもやりきれやしないよ。」 僕等は今まで両方で避けていた点に到達したのである。その時はじまった沈黙で、二人とも困りきっているのがよくわかった。――彼…

幸福への意志(19/30)

(573字。目安の読了時間:2分) そして彼は、僕と並んで一杯のソルベットオをすすりながら、この年月どう暮していたかを、物語りはじめた。――旅をして、たえず旅をして暮していたのだという。チロオルの山々をへめぐって、イタリアの中を端から端まで、ゆっ…

幸福への意志(18/30)

(583字。目安の読了時間:2分)そして開け放された方々の扉から、時々、新聞売子の尾を長く引いた呼び声が、広間の中へひびいてくる。 と、不意に僕は、僕と同年配ぐらいの紳士が一人、ゆっくり卓の間をぬって、出口の一つへと進んで行くのを見た。……あの歩…

幸福への意志(17/30)

(603字。目安の読了時間:2分)どこかでたったひとりで死のうとして、いっさいから逃れ去ったのである。そうとも、たしかに死ぬために違いない。なぜなら、こうなった以上、もう二度と彼に逢わぬだろうということは、僕にとっては、すでに悲しい見込みにな…

幸福への意志(16/30)

(590字。目安の読了時間:2分)あのかたはおからだが悪い、大変悪いと両親は私に申しましてね――でも、お悪くてもなんでも、私あのかたを愛しておりますのよ。こんな風にあなたにお話ししてもかまいませんのね。私――」 令嬢はちょっとまごついたが、また前と…

幸福への意志(15/30)

(610字。目安の読了時間:2分)完全にいつもの平静を保っていて、両親のほうはパオロの急な旅立ちについて、しきりに遺憾の意を述べたのに、彼女はその時まで、まだ一言も僕の友だちのことを、言い出したことがなかったのである。 その時僕等は相並んで、ミ…

幸福への意志(14/30)

(615字。目安の読了時間:2分) おや、あなた御存じないのですか――ホフマンは出立してしまったのですよ。あなたには知らせたろうと思っていましたが。」「なに、一言半句知らせはしません。」「じゃまったく ※ b※ton rompu(気まぐれ)なんですね……いわゆる…

幸福への意志(13/30)

(579字。目安の読了時間:2分)それから小声で、自信ありげにいった。「僕は幸福になるだろうと思っているよ。」 心から彼の手を握って、僕は別れを告げた。実は内々、ある危惧を制することができなかったのだけれども。 それから数週間すぎた。その間僕は…

幸福への意志(12/30)

(621字。目安の読了時間:2分)黄ばんだ細面にある黒い眼は、きわめて病的な輝きを帯びていたので、彼が男爵の問に対して、世にもたのもしげな調子で、次のように答えた時には、僕は聞いていて、なんだか気味が悪くなったほどだった。「いや、実に申しぶん…

幸福への意志(11/30)

(581字。目安の読了時間:2分) 僕は引き合されて、ごく慇懃な挨拶を受けた。一方僕の連れは、この家の心安い友だちの格で、みんなと握手したのである。 僕の身の上について、しばらく問答があった後、みんなはパオロの画が――女の裸体画が出ている展覧会の…

幸福への意志(10/30)

(564字。目安の読了時間:2分)「失礼ですが、私の友だちを紹介いたします。一緒にABCを習った小学時代の同輩です。」 令嬢は僕にも手を差出した。柔かな、骨がなさそうに思われる、ひとつも飾りのない手である。「嬉しゅう存じます――」と、微かなふるえ…

幸福への意志(9/30)

(579字。目安の読了時間:2分) 令嬢はすらりとした姿の、しかし年の割には成熟した輪郭を持った人で、きわめて柔かな、ほとんどものうげな身のこなしを見ると、そんなに若い娘さんとはちょっと思えないほどであった。こめかみを覆いながら、二つの捲毛にな…

幸福への意志(8/30)

(641字。目安の読了時間:2分) 僕等は実際、その翌日の正午頃、テレエジェン街のある立派な家の二階で、ベルを鳴らしたのである。ベルのわきには、太い黒い字で、男爵フォン・シュタインという名が書いてあった。 パオロはみちみちずっと興奮しつづけてい…

幸福への意志(7/30)

(581字。目安の読了時間:2分)男爵というのはもと相場師でね、昔はウィインでおそろしい勢力があって、全皇族と交際したりなんかしていたんだよ。……それから急に衰えちまってね、百万ばかり残して――といううわさだがね――事業から手を引いて、今じゃこの町…

幸福への意志(6/30)

(596字。目安の読了時間:2分)快活にいきいきと、一別以来の生活を語った。僕と別れてからまもなく、画家になることをやっとのことで両親に許してもらって、九カ月ほど前にアカデミイを終ると、――今しがたは、偶然アカデミイに寄ったのである――しばらく旅…

幸福への意志(5/30)

(614字。目安の読了時間:2分) 中背で、やせぎすで、ゆたかな黒い髪に帽子をあみだにのせて、青筋の浮いている黄ばんだ顔色で、贅沢だけれども自堕落な身なりで――例えばチョッキのボタンが二つ三つ外れている短かい口髭を軽くひねり上げて……といった様子を…

幸福への意志(4/30)

(647字。目安の読了時間:2分)パオロは学校を換えないことになって、ある老教授のところに預けられた。 ところが、この状態も長くはつづかなかった。パオロがある日両親のあとを追って、カルルスルウエに行ったのには、次の事件が、まあ直接の動機ではなか…

幸福への意志(3/30)

(621字。目安の読了時間:2分) 僕等はまた――二人とも十六だったと思うが――一緒に踊の稽古にも行って、その結果、共々に初恋を経験した。 彼を夢中にさせた小娘は、金髪の快活な子で、彼はその子を、年の割にはいちじるしい、僕には時々ほんとに気味悪く思…

幸福への意志(2/30)

(561字。目安の読了時間:2分)その連中は横腹を突つき合いながら、冷酷ににやにや笑っていた。 こんな調子で怪物どもに取り囲まれていたので、僕等ははじめから、互いに惹きつけられるような気がした。だから、赤紫の教育家が僕等を隣同士に坐らせてくれた…

幸福への意志(1/30)

(589字。目安の読了時間:2分) 老ホフマンはその金を、南アメリカの耕地の持主として、儲けたのであった。彼地で家柄のよい土着の娘と結婚してから、まもなく妻を連れて、故郷の北ドイツへ引き移った。二人は僕の生れた町で暮していた。ホフマンのほかの家…

みずうみ(31/31)

(597字。目安の読了時間:2分) しかし娘は反対な桃花村をながめ、そこへ心はふしぎに憧れた。けれども何故かそう嘘をつかなければならなかった。「お前はわたしのそばに居なくともよいのだ。お前の好きなところへ、そして勇ましく出て行ってくれ。」 眠元…

みずうみ(30/31)

(645字。目安の読了時間:2分)「わたしはわたしばかりの事を考えていたのだ。お前というものがわたしの事情以外にも、何でこの世の中へ出てわるかっただろう? いや、お前はもっと早くにもっと素晴らしい人生へ出て行くべきであったに、わたしの頑なむしろ…

みずうみ(29/31)

(661字。目安の読了時間:2分) 眠元朗はあわてて娘の手をとって、その手を合そうとするのをほつれさせ、そうして悲しげに何度も吃(ども)った。「あやまるのはお前でなくて、わたしだ。わたしはお前を何度も何度もだました。そしておれ自身が寂しいために…

みずうみ(28/31)

(631字。目安の読了時間:2分)そしてお父さんの何んであるかということ、又お父さんがお前がいなくなったあとを考えてみてくれ。もう分ったろうね。」 娘はそのまんまるい目を父の目に向けた。そのまんまるさは次第に大きくはなったが、しかし輪廓をぼやけ…

みずうみ(27/31)

(685字。目安の読了時間:2分)「いや、おれはそんなことで諦らめたりなんかするものか、きっとさがし出して見せるよ。」 そういう眠元朗のこえは何時の間にか、かすかな震えを帯びるほど或る恐怖に似た不安と憂慮を交えていた。その上いつの間に娘がこうま…

みずうみ(26/31)

(637字。目安の読了時間:2分)「わたしが彼処へ行ってしまったら、既うそれきりになって帰って来ないような気がしますもの。もし然うだったらお父さまはどう成さるおつもり――。」 娘の眼はその瞬間にやさしい猾(ず)るさを、その可愛げな頬ににっとうかべ…

みずうみ(25/31)

(630字。目安の読了時間:2分)が、誰も何も言わなかった。夜とともに濃くなる褐色の空気はこの家も砂原も、そうして湖の上まで飴のように固めてしまっていた。四 娘は父親と渚をあるきながら其処に乱れている美しい貝殻を手に拾い、そして温んだ湖水がおり…

みずうみ(24/31)

(611字。目安の読了時間:2分)そしてやっと口をひらくと言った。「わたし最うすっかり退窟してしまいましたの。何一つおもしろいこともございませんし……。」 父親は苦笑した。そしてまじまじと娘の顔をながめると、思い切ったように言った。「お前がわたし…